疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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人物描像: 中戸川孝治北大名誉教授(1)----経歴

こんにちは。どうも僕です。

今回は私が影響を受けた人を断片的ですが紹介したいと思います。最初は論理学を専門とする中戸川孝治先生です。

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こちらが中戸川先生です。去年(2016年)の6月に撮影されたものです。

 細かい中戸川先生の経歴は少し知っていますが、ここでは書きません。さらっと書きます。先生がこれまでおっしゃっていたことをまとめてみます。

 

 

先生は戦後間も無くに、大阪に生まれました。しかし、すぐに神奈川の湘南に移ってそこで高校生まで生活していました。

 

 

高校は湘南高校です。県内一のトップ校です。大学を進学するとき先生は慶應義塾大学にしようと思っていたそうです。というのも、中戸川家は代々慶応に進学していたそうで、だから自分も行くのだろうとのことで慶応を受験されたそうです。慶応のある場所(どこかな)にある薬局があって、先生の親戚のおばさんがそこの薬を服用していたそうです。これまでは、親戚の慶大生にその薬を取りに行かせていたそうですが、みな卒業されて誰も薬を取りに行くことができなくなった。困ったわとの話があったそうです。それで今度は自分がその人のために薬を取りに行くのだろうと思っていたそうです。

 

 

しかし、はじめての受験は失敗に終わってしまいました。落ちたのです。1月にそうそうに落ちてしまいました。それ以外のところは受験されていなかったそうです。

高校には当時予備校(確か駿台)の枠がひとつあったそうで、そうそうに落ちた先生はその枠をゲットして、その予備校に通ったそうです。

 

 

予備校に通っていたとき、時代は60年安保のときでした。予備校の外にはゲバ棒を持った群衆がいたそうです。先生はそれを冷めた目線で見ていたそうです。

 

 

一浪した挙句、先生は東京教育大学に進学されました。理由は関東近郊で哲学ができる国立大学を希望していたからだそうです。東大はこの年は受験ができなかったので、東大ではありません。

 

 

しかし、この東京教育大学に進学されたことが、先生の、後の人生を左右することとなったのです。というのも、そこには、あの前原昭二先生がいたからです。

先生と前原先生の邂逅が先生の人生を決定づけたのでした。

(つづく)