こんにちは。今回は書評で知り合いから借りた百田尚樹さんの『大放言』を書きたいと思います。
- 本の要約
- 第2章: 暴言の中にも真実あり 図書館は新刊本を入れるな 売れなくてもいいならブログに書け
- 感想
本の要約
本書は「かつて放言は一つの文化だった。」という言葉からはじまる*1。だが、世の中はそのような放言が許されなくなり、言葉狩りが横行していると百田は嘆く。放言にも一分の真実があるとして、百田が考えることをつらつらと述べられている。全部で四章から成り立っている。
第1章: 現代の若きバカものたちへ
第2章: 暴言の中にも真実あり
第3章: これはいったい何だ?
第4章: 我が炎上史
内容は題名から想像するほど過激なものではない。基本的には評者は百田の考えに反対しない(要は右)。評者にとっても普通のことがここには書かれている。
さらに本書にはのちに百田の韓国本のアイディアも書かれている*2。
教育を破壊してすまなかった。ハングルという劣等文字を普及させてすまなかった。階級制度・身分制度を破壊してすまなかった。禿山に植林してすまなかった。ダムや鉄道や道路を作って、朝鮮の美しい景色を壊してすまなかった。人口増加や平均寿命を伸ばしてしまいすまなかった。このようなことが皮肉的に書かれている。
以下に本書の中の或る箇所を詳しく書く。それらの節は評者にとってはあまり賛同することができないところであったからである。
第2章: 暴言の中にも真実あり 図書館は新刊本を入れるな 売れなくてもいいならブログに書け
評者が特に気になったのは第2章の2つの節「図書館は新刊本を入れるな」(pp.101-111)と「売れなくてもいいならブログに書け」(pp.112-120)である。
Section: 図書館は新刊本を入れるな
Subsection: 本くらい買ってくれ(pp.101-102)
百田のサイン会に自称読書家という人が来た。彼は百田に「あなたの本を図書館で読みました。」と言った。その人は高級スーツや時計や靴を身につけていた、そしておそらく高級車を持っている、そんなお金持ちであった。百田はその人のその発言に困惑した。
おそらく彼の頭には「本は図書館で無料で読むものだ」という認識が普通にあるのだろうなと思う。p.101
なぜなら「実は今、図書館が出版業界を苦しめている」(p.102)からであり、百田の主張は「図書館は新刊を一年は入れるな!」(p.102)である。
Subsection: 図書館は無料貸本屋か(pp.102-104)
図書館はベストセラーを何十冊も仕入れる。それによって潜在的な著書の購入者が、減少している。これにより出版業界の利益が減る。これは、出版社と著者だけが被害を受けるのではない。町の書店も苦しめる。百田はそのように主張する。
Subsection: 民業を圧迫している現実(pp.104-107)
もちろん、百田は図書館をなくせとは言っていない。図書館はその町の文化の象徴であるから、むしろ必要であると考える。ただ、図書館には高価な全集や学術書など一般人がなかなか買えないものを揃えるべきであり、娯楽本やベストセラーを揃えるべきではないと言っている。そのような本は自分自身で買うべきだということである。出版文化を守るために、出版社や書店や著者の利益を守るために、図書館に娯楽本やベストセラーは1年間は入れるなと百田は主張する。無料の名作小説が図書館にはあるから、貧しい人たちはそちらを読んでくれとのことである。要は貧しい人は買えないぶん最新の小説を読むことは無料ではできない。
百田は自分の主張の正しさを示すために、1つの思考実験をしている。最新映画やレンタルDVDを例にして、もしも無料化したらこれらの会社は痛手を被るだろうと議論している。
Subsection: 欧米の図書館事情(pp.107-109)
さらに百田は世界の趨勢を示して、持論を展開する。世界では出版文化を守るために国立図書館が公共貸与権・公貸権制度がある。
「無料の貸し出しは民主主義の原則だ」との反論に対して百田は異議を唱える。
Subsection: 図書館の存在意義(pp.109-111)
出版社が図書館に対して文句が言えない理由が2つあると百田は言う。1つは全く売れない学術書などを図書館が買ってもらっているからなんとか食いつないでいるので言いづらいのと、もう1つはかつての日本人は活字好きで本は出せば売れたから、たとえ無料に貸し出されても、それほど問題ではなかった。だが、近年では娯楽が多様になったので、本が売れなくなった。
ベストセラーで出版界はなんとか食いつないでいるがそれらの本を無料で貸し出しされると出版界は大打撃を打ってしまう。
Section: 売れなくてもいいならブログに書けpp.112-120
Subsection: 文芸の甘い世界pp.112-114
長年テレビ業界にいた百田にとって出版界・文芸誌の甘さにショックを受けた。テレビでは締め切りを守るのが当たり前であったのに対して、文芸誌では締め切りを守らない人がいるということであったからだ。
Subsection: 納得のいかない作品は出せないpp.114-116
文芸誌は舐められている。たとえ一部であったとしても締め切りを守らない作家がいて、それを見て見ぬ振りをしている業界が嫌であると百田は言う。
Subsection: 売れようと思って書いていない、という作家pp.116-119
なかには、売れる売れないということに関心がなく自分が書きたいものを書きたいと考える作家がいる。その人の中には、書きたいものが書けなかったからと雑誌に穴を開けることがある。だが、出版界は慈善事業ではなく、本を売って儲けなければならない。それは作家自身だけではなく会社員や全国に配送する取次会社の社員や書店員を養わなければならないのである。
だから、私たち作家は自分たちのためだけでなく、彼らのためにも「売れる本」を出さなくてはならない。少なくとも赤字になるような本は絶対に出してはいけない。p.118
もし自分の理想の小説を書きたいのならば、ブログに書けと言う。
自分の理想とする小説を、締切も気にせず、商業主義に毒された編集者の間抜けな意見にも耳を貸さず、書きたいものを書きたいように書けばいいだけの話だ。多くの人が誤解していることだが、「純文学」というのも娯楽小説の一つである。p.119
Subsection: 二流作家の覚悟pp.119-120
いち二流作家と自称する百田は一つの覚悟がある。それは「三作続けて重版がかからなければ即引退する」(p.119)というものである。
小説家はヤクザ。彼らが食べていけるのはこの社会で一生懸命に働いている人たちがいるから。だから小説家はその人たちを笑わせて泣かせて感動させなければならい、と*3。
感想
これらの百田の考えに反対していた。しかし何を書くか忘れた。「知識は平等であるべきだ。」「知識の独占をしてはいけない。」「出版界は変わるべきだ。」「潰れるべき本屋はさっさと潰すべきだ。」
このようなことを言いたかったと思うが、まだまとまっていない。
僕から以上