疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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読書感想#3: 深沢真太郎著『数学的コミュニケーション入門 「なるほど」と言わせる数字・論理・話し方』『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』

こんにちは。どうも僕です。

 

今回はビジネス数学のエキスパートである深沢真太郎さんの『数学的コミュニケーション入門 「なるほど」と言わせる数字・論理・話し方』と『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』について書評したいと思います。と言っても、ちゃんと書くのは前者の『数学的コミュニケーション入門』であり、後者の『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』の方はもくじと気になった箇所の引用だけです。

 

「伝わらない」がなくなる 数学的に考える力をつける本

「伝わらない」がなくなる 数学的に考える力をつける本

 

 

 

 

以下でははじめに深沢の『数学的コミュニケーション入門』の全体の要約および各章の要約を書く。次に同著者の『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』について目次といくつかの文章を引用する。

評者はともにMac電子書籍で読んだので、前者の引用ページはその電子書籍のページに対応し、後者の引用は各章のセクションによって指示されている。 

 


『数学的コミュニケーション入門』の要約

本書は数学的なコミュニケーションによって相手を説得し動かすことを学ぶための本である。数学的コミュニケーションとは(1)「定量化する」(2)「グラフを使う」(3)「プレゼンを設計する」(4)「伝える」の4つから成り立っている。それらをこの順序で著者は具体例を示しながら解説をする。

 

 

各章の要約

本書は4章からなりたっている。以下は目次でありページ数は電子書籍版である。

はじめに pp.3-5


第一章 数字のつくり方 pp.11-104
1.1 定量化するための数学的思考法 pp.12-49

1.2 数学的センスの磨き方 pp.50-70

1.3 エクセルを使った数学的仕事術 pp.71-104


第二章 グラフの使い方 pp.105-195
2.1 いまさら聞けないグラフの超基本 pp.106-135

2.2 絶対にやってはいけないグラフのNG行為 pp.136-160

2.3 デキる人に見せるプラスαのグラフ術 pp.161-195

 

第三章 論理的なシナリオのつくり方 pp.196-248
3.1 そもそもプレゼンとは? pp.197-213

3.2 絶対に守って欲しい3つのポイント pp.214-230

3.3 「なるほど」と言わせるシナリオづくり pp.231-248

 

第四章 数学的な話し方 pp.249-304
4.1 「わかりやすい説明」って、なんだ? pp.250-269

4.2 説明が劇的にわかりやすくなる3つのポイント pp.270-286

4.3 ヒントはすべて数学の教科書にある pp.287-304

 

おわりに pp.305-307

 

 

第一章 数字のつくり方

第一章「数字のつくり方」では、物事を数字で評価することの重要性を説き、物事を測る概算の方法が書かれている。そこでは手始めに日本のメガネ市場がどれくらいなのかと概算されていて、最終的には愛の値段をも計算されている。そしてそれらの例で概算の方法を示したあとに筆者は数学的な思考方法の特徴を「定義する」と「比べる」であると指摘する。数字の最大の特徴は比較ができることである(p.47)。そしてこのような数学的な思考方法は隙間時間を使いながら習慣化されるべきであると著者は言う。

この章の最後の節ではエクセルの簡単な使い方を伝授している。グラフにすることにより相関関係が見えるからまずとりあえずグラフにせよとのことである。エクセルでできるような簡単な数量的手段しか書かれていないことに習熟者は物足りなさを感じるだろう。だが、ビジネスにおいては誰にもわからない高等な数学的技術は無用であり、相手を納得させることができない技術を理系の人は使用してしまうという誤りを犯す、と筆者は指摘する。

 

私たちビジネスパーソンの仕事は、数学的理論を学ぶことでもなければ、それを使うことでもありません。相手に「なるほど」と言わせることです。
 ですから、「なるほど」が生まれにくい定量化スキルは、たとえ知っていても実際には使えません。これはいわゆる理系出身者がよくしてしまう間違いです。
 あなたの自己満足のために数学的理論を使うのはやめてください。
 相手を「なるほど」と安心させるために数学的理論は使ってください。p.93(ch.1.3)

数学的理論は自分のため(for me)にではなく相手のために(for you)使うべきだと筆者は言う。 

 

第二章 グラフの使い方

第二章「グラフの使い方」では、初学者が陥りやすいグラフの誤った使い方を指摘して正しい使い方を述べている。例えば、3D円グラフはカッコいいかもしれないが見づらいので使ってはならない。%(パーセント)を使うときその母集団がバラバラであってはならない。このようにここでも自分のため(for me)にではなく相手のため(for you)に細部にこだわれということである(ch.2.2)。


何を伝えたいのかということによって使うグラフも変わってくる。例えば、もし伝えたいことが大小関係であるならば、棒グラフを使うべきであり、伝えたいことが販売数などの推移ならば折れ線グラフを使うべきであり、伝えるべきことがシェアならば円グラフを使うべきであるとのことである。そして、伝えたいこと以外の情報は思いっきって単純化したり省略したりして、よりわかりやすくすべきであるとも言う。例えば、ある書店のシェアがどれくらいなのかを伝えたいときは、それ以外の書店は「その他」として大胆にまとめるべきであり、それ以外の書店をさらに詳しく書く必要はないとのことである(ch.2.1)。

  • 伝えたいメッセージをグラフに込める。
  • グラフの情報と口頭の説明内容が一致しているプレゼンを目指す。

p.125(ch.2.1)


さらにこれ以外のグラフであまり使われていないものを3つ紹介している。それは散布図とバブルチャートとレーダーチャートである。それらも伝えたいメッセージに従って以下のように使い分けをする。

  • 2つのデータの関連性を表現したい→散布図
  • 3つのデータの関連性を表現したい→バブルチャート
  • 長所・短所・バランスを端的に表現したい→レーダーチャート

p.135(ch.2.1)

 

グラフはメッセージを伝えるだけでなくある種の関係性や法則性を発見する手段としても使える。だからデータがあったらとりあえず入力してグラフ化させることを著者は勧める(p.153)

さらにグラフの使用のときのワンポイントアドバイスとして、グラフは伝えるメッセージに応じて変えるだけでなく相手(たとえば上司)のタイプに応じても変えるべきであると著者は言う(ch.2.3)。たとえば、「数字はどうでもよくて結論だけ述べて欲しいと思う」上司と、「数字が得意でデータも理解したい」上司がいる。それら上司のタイプに従ってグラフの書き方も変えるということである。

この章の最後の節(ch.2.3)の終わりでは、これまでとは打って変わって「グラフを使わない人になれ」と説く。これは前節までのグラフに関するテクニックの話と矛盾するように思われる。だが、そうではない。真意はこうである。グラフはビジネスにおいて必ずしも必要ではない。グラフはあくまでも相手が資料を理解しやすくするための手段にすぎない。にもかかわらずグラフを作ることが自己目的化となりそれが仕事になってしまうことがある。このようなことを戒めるために「グラフを使わない人になれ」と筆者は説くのである。

 

第三章 論理的なシナリオのつくり方

第三章「論理的なシナリオのつくり方」では、成功するプレゼンつまり人を納得させるわかりやすい説明の方法を述べている(ch.3.1)。プレゼンとは「相手に伝えることで、「なるほど」と思わせる行為」(p.198)である。
ここで筆者は論理的なシナリオの作り方を数学教師の授業の仕方を参考にするべきだと言う。その方法とは、プレゼンのはじめに「定義」と「ゴール」を示すことである(ch.3.1)。定義づけることによりプレゼンの全員が議論の「前提」を共有することができ、ゴール(着地点)を示すことで話の筋道が決まるからである。一度ゴールが定まればそこに向かって一直線に進むべきである。逆にもし前提が共有されていないならば、相手から「そもそも...」と答えられてしまう。それはいいプレゼンにはならない(ch.3.2)。だから着地点(前提)が共有されるまでは話すべきでない*1

ですからあなたにとって大切なことは、話し始める前に「着地点」をしっかり決めておくことです。極端に言えば、「着地点」を決めないうちは話し始めないでください。

p.266

 

さらにプレゼンの極意としてプレゼンは参加者のなかの特定の1人に分かってもらえばいいと著者はきっぱりと言う。プレゼンは一対一が原則だからである(ch.3.1)。

どの人に伝わって欲しいかと特定されれば使われる言葉や話し方も変わってくる。相手が結論から言って欲しいのか前提から言って欲しいのかその都度話し方は変わる(ch.3.1, 3.2)。


筆者は章の最後に人間は数学的にできていないから、プレゼンは数学だけではダメであることを指摘する。「数学9割」「ハート1割」がいいプレゼンの黄金比であり、最後の1割はその人の人間性に関わってくるとのことである(ch.3.3)。

 

第四章 数学的な話し方

第四章「数学的な話し方」では、最も大切な伝え方が議論されている。わかりやすい伝え方は一体なんなのか。著者は「相手が伝えて欲しいことだけを、簡潔にわかりやすく伝える」(p.254)ことであると著者の経験(主観)から主張する。

本項のポイントは、そもそも相手はあなたの話を聞きたいとは思っていないという大前提を忘れないということ。このワンメッセージです。

p.254

 

わかりやく伝えるということは中学生にもわかるということであると言う(ch.4.2)。なぜなら中学生にもわからせるためにはできるだけ専門用語を使わずに説明しなければならず、そのことによって高卒以上であるすべてのビジネスパーソンが理解することができるからである。

 

 前章と同じように筆者はわかりやすい伝え方を「わかりやすい数学教師」をお手本にしている。そして数学教師が使っているわかりやすい伝え方のテクニックがいくつか紹介されている。

たとえばそれは「接続詞+ 1秒の間」であり接続詞で話の方向を示しゆっくりはなすために間を空けるとのことである。別のテクニックとして数学の教科書が「前提→定義→例題→演習」のように進むのと同様に伝える順番も同じようにするというのがある。

著者は数学の教科書のように伝え方は抽象と具象を往還すべきだという。具象とは喩えのことである。喩え上手は伝え上手であり、人によって喩えを変えていくことにより伝えることが上手になると筆者は説く。

イメージしにくい抽象的な情報を具体的な喩えにして伝えなおす仕事は、伝え上手な人が皆さんしていることです。

p.294

 

ですから相手によってその喩えを変える柔らかさを持つことが大切です。p.284

 

抽象と具象の往還に関して、前章と同じように人によってその仕方は異なってくる。抽象的な話から具体的な話へと進む方法と具体的な話から抽象的な話へと進む方法がある。

つまり、話し方には「抽象的→具体的」と「具体的→抽象的」の2種類があり、いずれも「わかりやすい」を生み出すことは可能だということです。

p.301

 

ある人がどちらの進み方がよりわかりやすいと思うかは残念ながら一般的に決めることはできない(pp.301-302)。

私の考え方は極めてシンプル。「相手によって変える」です。
 たとえば何でも結論から伝えて欲しいタイプなら、「抽象的→具体的」を選びます。要するに何なのかをまず伝え、その後に具体的な解説をします。
一方、世の中にはイメージできないことをいきなり伝えられることを嫌うタイプの人もいます。いちど頭の中に「?」が浮かぶとすぐに「わからない」と思ってしまうタイプです。
 こういうタイプに対しては「具体的→抽象的」を選び、相手がわかる内容から徐々に結論に向かっていきます。
 もちろん、相手がどちらのタイプかわからないケースもたくさんあるでしょう。そういうときは会話で探りながらということになります。
 実際、私も研修やセミナーの前半ではそのように探りながらメッセージを伝えていき、反応がよいほうを選択していくのです。残念ながらそこには数学のような完璧な法則や公式はないということですね。

 

pp.301-302

 

コミュニケーションは人間的であるがそこに少し数学的なエッセンスを加えることにより周囲が自分を「この人はわかりやすい伝え方をする」と思われるとのことである。

 


『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』

目次

はじめに
第一章 数学は頭を一瞬で整理する技術
1.1 「数学は何の役に立つか」に答えを出す
スポーツ少年と数学少年
数学嫌いでも数学は役立つ


1.2 数学が教えるのはコトバの使い方
計算を主役にするな
「しかも」や「ゆえに」で事実をつなげる


1.3 考える力をどう育てるか
わかっているのに説明できない症候群
「円周率とは?」「3.14です」は大間違い
計算をやめたら頭が動きだす


1.4 数字も計算もいらない数学の学び直し
使うコトバを変えればいい
カレーだって数学的につくれる?
思考を促すコトバとは


1.5 「数学コトバ」を定義する
数学コトバはこんなにたくさんある
計算をやめて説明をしてみよう


1.6 コトバを変えて人生を変えよう
数学コトバで変わる3つのこと
「構造把握→論証→説明」で全部がうまくいく


1.7 「数学は人生を変える」を数学的に証明する
証明は難しくない!
思考変革から伝え方変革に進む

 

第二章 数学コトバでわかりやすく伝える
2.1 簡潔に伝えられない「会話の犯罪者」
学生時代とは真逆のことをしなさい
わかりやすさ=短文+数学コトバ


2.2 カーナビをイメージして話す
伝え方のお手本をまず決める
数学コトバは話を聞きやすく変える


2.3 「以上です」は大切な数学コトバ
会話で流れる微妙な空気
シャープな人の話の終え方


2.4 たとえば駅のアナウンスは数学的か
「駆け込み乗車はおやめください」の言語構造


2.5 数学コトバの両脇に1秒の「間」をつくる
マシンガントークは迷惑なだけ
小泉進次郎氏の伝え方は数学的
イメージは夫婦のジョギング


2.6 実は数学コトバはいらない?
「短く話す」のも数学のルール
「数学的に話す=数学コトバで話す」ではない


2.7 一流はどう数学的に伝えているか
堀江貴文氏の大学卒業式でのスピーチ
林修氏が予備校講師になった理由


2.8 一流はプレゼン資料をどうつくっているか
準備が数学的なら伝え方も数学的になる
サザエさん」を見ながら数学をする?
スライドや資料を数学コトバでつなげる


2.9 「1秒」で場の空気をつくりあげる
いい話はいつも「定義」から始まる
定義を先に伝えると聞き手は安心する


【コラム】あの人も数学的に伝えている

 

第三章 構造をつかんで正しく考える
3.1 「考える」とは何をすることか
「考える」には2段階がある
あなたはどうやって選んでいるか
数学の3ステップを最初にすること


3.2 考えることは事実を丸裸にしていくこと
数学少年の「淫らな欲望」
数学者はヘンタイである


3.3 「同じ構造のものは何か」を考える
神奈川県と埼玉県の違いをグラフ理論で説明する
なぜ優先順位はソフトクリームと同じなのか


3.4 足し算はレバニラ炒めである
足し算を構造化してみる


3.5 就活生の「よくある志望理由」は通用するか
正論っぽい内容ほど疑う
理屈っぽいくらいでちょうどいい


3.6 ある銀行会長の妙な面接質問
山手線の内回りと外回り
数学の優等生が数学的な人物とは限らない


3.7 名探偵は数学的に仕事をしていた
犯罪を暴くふたつのアプローチ
古畑任三郎が犯人を「落とす」数学コトバ
アメリカ大統領選挙は消去法だった


3.8 「ストレスで太る」のは嘘か本当か
林修氏はなぜ数学的なのか
「ストレス肥満」のどこに嘘がある?
「デブ」を構造化してみる


3.9 稲盛和夫氏の「名言」は数学的にできている
心に刺さる「名言」は構造化されている
数学を使って「名言」をつくってみる


3.10 ビジネスを数学的に定義してみる
自分の価値観を凝縮してみよう
PDCAよりも大切なサイクル
ビジネスとは四則演算


【コラム】あの人がした「構造化」

 

第四章 数学的論証力で人生を変えていく
4.1 あなたは納得して生きているか
人は「なるほど」がないと動けない
自分が納得してこそ相手を納得させられる
数学を通じて「人生」を考えよう


4.2 「ナンバーワンにならなくてもいい」は誤りだ
名フレーズも数学的フィルターを通すと?
小さなことでいいから競い合って勝て


4.3 成功のヒントは数学的帰納法にある
最初がYESならすべてYES
自己啓発書によく書かれていること
ドミノ倒しで成功をつかむ


4.4 数学コトバで人生からムダをなくす
ムダな議論を生む言葉


4.5 「そもそも」を思考の武器にせよ
自分の仕事を定義してみよう
意識でなく行動が人生を変えていく


4.6 数学の美しさがわかればイノベーションが起きる
「美しさ」の正体
「美しさ」を言語化する
数学とは掃除をした部屋を見せることである

 

引用

数学の説明をするように伝えることを「数学的に伝える」と表現する。

 

ch.2.4より

 

(池上彰は[引用者注])どんな伝え方をしているでしょうか。非常に論理的かつ短い文章で伝えているのに加え、適度に「間」をとってゆっくり伝えているのではないでしょうか。

 

ch.2.5 マシンガントークは迷惑なだけより

 

  • 短文にし、話し終えるごとに間をとる
  • 数学コトバを使ったら間をとる

 

ch.2.5 イメージは夫婦のジョギングより



余計なことは言わず、とにかく短く、という「数学的に話す」ルールに従ったほうがいいのです。

 

ch.2.6 「短く話す」のも数学のルールより

 

「短文→数学コトバ→短文」という原則どおりに話しています。文脈上は数学コトバを使うべき箇所が4箇所あります。しかし、林氏は数学コトバを使いませんでした。そのかわり、1秒以上の「間」をつくって話しています。
伝える内容を構成するために、考えるときは数学コトバを使う。だが、実際に伝えるときには不要なコトバは発しない。

 

ch.2.7 林修氏が予備校講師になった理由より

 

「接続詞」は、「数学コトバ」とほぼ同義だと考えてよいでしょう。

 

ch.2.8 スライドや資料を数学コトバでつなげるより

 

「ほぼ」ってなんだよ!!!?? ちなみにもともとの「数学コトバ」とは以下の意味である。

数学で使うコトバだから数学コトバ。ここからは、数学を通じて使い方を学ぶことができる論理コトバのことを「数学コトバ」と定義することにします。

 

ch.1.5 数学コトバはこんなにたくさんあるより

 

 

感想

以下感想を箇条書きする。

『数学的コミュニケーション入門』の感想

  • ビジネスでは論理的でないのは評判が悪いらしい。本当かな。評者は社会で働いたことがないから、著者のように社会で働いた経験を持つ人の言葉を信じるしかないけれども。

なぜなら、ビジネスでは「わかりにくい説明」「論理的でない説明」はほとんどが悪いと評価されるからです。p.263

 

  • ch.4.2では前節の議論を踏まえて次のことを言っている。

第四章では「わかりやすい」の正体をお伝えしてきました。意外にも数学的な要素があることもご理解いただけたと思います。

p.270

いや、わかんねーよ。普通に。

 

『「伝わらない」がなくなる数学的に考える力をつける本』の感想 

  • 特になし。記憶に残ってないということはその程度の内容ということ。

    目次読みは読書の常套手段であるので、最近の量産型のゴミボンはその読者の行為を逆手にとって、異常な目次によって読者の興味をそれに惹くようにさせる。だが、大半は実際その惹かれた節を読んでみても、当初期待していたこととはまるで違うことが書かれていたり、大したことが書かれていない。このようなことが三流芸能ゴシップ誌ばりにこの手の本にはよくある。まだ、前者の『数学的コミュニケーション入門』ではそれほど突飛押しもないタイトルはないけれども、後者の『「伝わらない」』ではこれでもかとそのような目を惹くセンセーショナルなタイトルが並んでいる。たとえば、...は示さなくても明らかだ。しかしにも関わらず実際読んでみても特に記憶に残っていないということは本当に大したことは何一つ書かれていなかったんだと思う。

     

 

 読んでみての感想

  • 深沢の本を読んだきっかけは、しばしば言われる「数学的思考」というものを考えたかったからである(それは齋藤孝の『数学力は国語力』もそう)。「数学的思考」や「数学的に考える」ということを評者は多かれ少なかれ考えてきた。大体の結論は「数学的思考とは所詮は論理的に考えることプラス現実問題に対して数字を適応したり、それが高度になればそれに統計的手段を適応するといったその程度のも」であった。深沢や齋藤の著書を読んでも、特にその結論が変わることはなかった。というかむしろ甘い(それはのちに述べる)。評者が考えていたことを超えるものは何もなかった。深沢が「数学的」と認めたらそれが「数学的」となる感じであり、厳密な意味で「数学的」ということを示してはいなかった。ここで言う厳密な意味でとは、ある明確な基準によっていかなる言説も「数学的」か「数学的でないか」ということが判断できるということである。その基準が結局は「深沢が数学的だと思ったから」ということなのではないかと思ってしまったということである。あまりにも基準を広げてしまうとなんでも「数学的な話」となってしまい、あまり意味がなくなってしまう。このことは中島岳志が「保守的」というのを「理性の限界を認める」と定めることによってほとんどの知的な人は保守的と呼ばれることが可能となり-----なぜならほとんどの知的の人は人間の理性の限界を全面的に認めているから-----「保守的」という言葉があまり意味をなさなくなってしまうという批判と同じである(中島については別の記事で批評する)。もっとも、厳密な意味で「数学的」を定義するのは難しいと思うけれども。深沢の本は2冊も読んだし大体の著者の考えがわかったからたぶんもう読まないと思う。講演会みたいなのがあったら一度行くかもしれない。
  • p.47で深沢は「数字の最大の特徴は比較ができることである」と述べている(第一章参照)。だがそれは厳密には違う。比較するだけならばわざわざ数字に落とし込む(つまり定量化する)必要はない。A, B, C...やイ、ロ、ハ...などの順序化された記号で十分であるからである。一般的に言えば半順序か全順序。擬順序でもいいと思う。足し算引き算も数字以外でも示すことは可能でありそれほど重要ではない。数字とそれらの記号との決定的な差は「割り算(つまり平均を取ることができるかどうか)」ということである。もっとも数字に落とせば他の順序記号よりも容易に比較することが可能であることに異論はないけれども。
  • 2冊の著作で重複されている内容がある。たとえば「わかりやすい話とは夫婦のジョギングであるという話」pp.257-258。
  • 数学は「喩える技術」を学ぶ学問でもあるとして次のように述べる。

たとえば微分という概念は「登山」や「ボールの落下」といった喩えで説明できます。群という概念は「あみだくじ」を喩えにして説明できます。確率論で登場する期待値という概念は「宝くじ」を喩えにして説明できます。...
要するに、私は数学という学問を通じて相手がわかりやすく、かつ同じ構造をしているものを探して相手に伝える行為を体験してきているのです。

p.285

「数学は喩える技術である」や「喩えることは重要である」という深沢の主張は基本的に賛成である。だがこれには重要な問題が孕んでいることを指摘する。それは、「たとえ」は英語で言えばExampleとAnalogyの違いがあり、深沢はそのことを意識していないということである。

上の数学での例は、(おそらく)すべてExampleとしての「たとえ」である*2。あみだくじは変換群の例(Example)でありつまりそれは一般的な群の例(Example)でもあるし、「一回宝くじを買うといくらのもらえるのか」というは期待値の例(Example)である。したがって、数学での喩えはその抽象的な概念と構造が同じである(同型)。だが、それは数学というある意味で「美しい」理想的な場合だから成り立つことができるわけで-----しかもそのようなちょうどいい例(Schema)を喩えを言う人が恣意的に選出している-----対して現実の場合はそのようなうまい例(Example)はほとんど存在せず、どうしても具象としての「たとえ」はAnalogyになってしまうのである。したがってそこには完全な同型というのはあり得ず、どこかに必ずズレや違いが生じる。その差異を意識しなければならないのである。深沢にこの認識がないから評者は甘いと言わざるを得ないのである*3

 

最後に

疲れた。ほんの少し引っかかったところはあったけれども、大したことのない内容であった。

というか、こいつ、しきりに「数学的に考える」とかほざいているけど「定義を明らかにする」とか「短めに書く」とか「結論をはじめに言うとか」そういった書き方・伝え方って、わざわざ数学じゃなくても科学論文の書き方・伝え方と同じなんじゃねぇ、というかむしろそっちの方がしっくりするんじゃねぇ、だって「数量的に考える」って科学研究の鉄板だけれども、数学研究ではむしろ数量的に考えることなんざねぇし、それじゃぁ、こいつが言っているノウハウの中に数学に固有なもの(uniqueness)って一つもなくねぇって少し思ってきた。まぁ、どうでもいいけど。

 

 

僕から以上 

 

 

 

 

 

 

 

*1:あれだけ筆者は「定義、定義」と口うるさく言っているにも関わらず、実は「前提」、「ゴール」、「着地点」という言葉に対しては明確な定義がなされていない。「ゴール」と「着地点」は同義語だとみなすことは自然なことであるが、次のような文章から判断すると、それだけでなく「ゴール」と「前提」も同じ意味であると思われる。「ちなみに私がメディアの取材を受けるなら、例えばこのような流れでお話をさせていただくかもしれません。[定義・前提]よろしくお願いします。まず前提の確認ですが、今回のインタビューはビジネス数学の内容ではなく、私自身の人間性や強みについてお話しすればよいということで間違いないでしょうか」p.234

*2:ここで「おそらく」と控えめに書いたのは深沢が「微分の概念は「登山」や「ボールの落下」といった喩えで説明できる」と言っているところが評者には何を言っているのかわからないということである。もしかしたら、微分 = 曲線の接線 = 傾き = 斜面の勾配 = 登山として言っているのかもしれないがボールの落下についてはちょっと見当もつかない。

*3:ちなみに評者はむしろアナロジー的思考を好んでいるし、それの決定的な性質は2つの対象A, Bに対してAとBの違いを我々に示すことであると考える。