疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.4 『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について 

今回は中島岳志の記事に対する書評の続きである。

読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.1

読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.2

読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.3

 

それは『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事についてである。

内容は『「リベラル保守」宣言』とかなりかぶっているところがある。適宜、つっこみをいれた。

このつっこみは、次の「中島批判」の記事とかぶることを先に謝っておく。 

 

 

1.左派って何?「理想の社会は可能だ」 社民主義 アナーキズム

まず左ですが、私の定義は、「左派とは、人間の理性によって未来に平等な理想社会を作ることが可能であると考える立場」というものです。未来は進歩する、人間の理性によって平等社会を形成することが可能であると考えるのが、左派の大きな括りです。

p.2*1


ここから、国家を重視するかしないかで二つに分かれる。
(1): 国家の存在を重視して国家による再分配による平等を目指す立場: 共産主義国家社会主義

彼らは[引用者注: 共産主義者国家社会主義者]、エリートの理性を信頼し、優れた理論を体得した人間が設計したグランドデザインに沿って社会を作っていけば、すばらしい理想社会が出来上がると考える傾向があります。

p.2

 

これなども[引用者注: プロレタリア独裁(マルクス主義の理論を理解した人間による独裁)の容認]理性による設計主義に基づいて出てきた発想でした。
      しかし、冷戦後はこのような極端な独裁的政治はおおよそ否定され、国家を使った平等社会の実現でも、民主主義の原則は守らないといけないという流れが、このグループの中心になって行きました。
      これが社会民主主義、通称では社民主義といわれるもので、…(中略)

p.2

 


社民主義とは民主的な選挙によって富の再分配による平等を目指す立場のことを言う。

社民主義者は、国家が社会工学(ソーシャル・エンジニアリング)を通じて社会を設計・計画することを重視します。

p.2

 

このように、政治の力、統治の力、エリートの力、理性を信用している人たち、これによって設計的に良き社会を作れると思っている人たちが左派の一つのグループですが、左派の中には国家を使った平等社会の実現というあり方を疑っている人たちもいます。

p.3




(2): 国家の存在を否定する立場: アナーキズム無政府主義者(アントニオ・ネグリ)
支配権力の否定

 

ですから、彼らは[引用者注: アナーキズムなど]国家による上からの平等の実現より、コミューンのような共同体の中で皆が平等に合意形成していくような社会を考えていきます。すなわち無権力、強制力なき社会ですね。
      アナーキストは、強制が排除された社会秩序が可能であると考える人たちです。そこにおいては個人が理知的で自発的な合意形成をし、共同性を担保していく。そうすると疎外のない理想社会、支配関係のない社会が実現すると考えます。彼らは、人間の本性へ信頼を持っている場合が多く、人間の無限の可能性を称揚します。

p.3



 

2.右派って何?

おさらいですが、左派は人間の理性によって良き社会を作ることができると考えている立場です。人間の理知的な努力によって、未来は進歩すると考える立場ですね。

p.6

 

「理性」への疑い 保守と右翼 リバータリアニズム

 

簡単に言うと、左派が前提とする「理性」を疑っているというところに、右派の人間観があります。人間の理性はどうしても不完全なものなので、理知的な努力によって平等な理想社会を作ることなんてできない、未来に進歩した社会が出来上がるなんて無理だと考えます。これが、右派の共通合意ですね。反進歩主義といえるかもしれません。

p.6

Question: 右派の共通点は「理性への懐疑」である。反進歩主義に対してどのような立場なのか? つまり、どのような意味で「反」なのか?

(1)  そもそも進歩なんぞ存在しない。

(2)  進歩は存在する。だが、

                     (i) 理想社会に限りなく近づくことはできるけども絶対に到達できない。

このどちらの意味なのか? 

進歩自体を否定するならば----つまり(1)の場合----「より良い社会になった」や「より悪い社会になった」と比較することができなくなり、相対主義に陥るのではないか? というのも、理想からどのぐらい近いか遠いかで「良い」や「悪い」が判断できるからであるが、そもそも進歩がないとすれば、そのような比較ができないから。

 

 

右派が共産主義に対して冷笑(冷淡)である理由

共産主義は、究極の理性主義ですね。別の言い方をすれば、合理主義に基づく「設計主義」が思想の根本のところにあります。人間の(特にエリートの)力によって素晴らしい世界を作ることができるんだという強い自負心が、その思想の根底にはあります。
       右派は、その発想そのものを否定します。人間はどうしても限界をもった存在で、不完全な動物である。にもかかわらず、そんな人間が完全な理想社会を作ることができるなんて、思い上がり以外の何ものでもない。そんな過信をもつから、それに従わない人間を抑圧し、弾圧しようとするんだ。思想の根本にある人間観が間違っている。そう考えたのが、右派の共産主義批判です。
       他にも、彼らが総じて憲法九条に批判的な態度をとったのは、九条に描かれたような非武装の絶対平和主義なんて、不完全な人間には不可能であると考えたからです。彼らは、単に好戦的な人間なのではありません。

pp.5-6

 

その根本には、「理性の限界」に対する冷静なまなざしと、人間の能力に対する過信への戒めがあります。

p.7

 

ここから右派は分かれる。
(1): 保守。

彼らは[引用者注: 保守]「懐疑主義的な人間観」を共有しています。…ですから、そんな人間が構成する世界が、完全な理想社会になることはありえません。

p.7

 

人間は、どうやっても理想社会というクライマックスに到達することはできないと考えるのが、保守の立場です。

p.7

 

彼らは人間の不完全性と向き合い、理性の限界を直視します。そして、人智を超えたものに依拠しながら、社会を漸進的に変えていくことを志向します。「人智を超えたもの」とは何かというと、それは例えば伝統であったり慣習であったり、良識、経験知、歴史感覚、神のようなものです。人間は、歴史的蓄積によって成立する社会に拘束されて生きています。保守思想家は、この事実を冷静に見つめ、慣習や良識を媒介として継承してきた歴史感覚を尊重します。歴史の風雪に耐えてきた社会制度や伝統の中には、重要な価値が含まれていると考え、その精神を次の世代にたいせつに継承していこうと考えます。

p.7

 

小林秀雄「あらゆる現代は過渡期であるといっても過言ではない。」

p.7

 

福田恆存「現実は永遠に理想的にはならない。つまり絶対者にならないのです。」

p.7

 

p.7: バーク

 

ラインホールド・ニーバー「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

p.8

 

Question: 昔よりも善いものへ漸進的に変えるのか。時代に合わないから(善いものへ変えるかどうかは不問で)漸近的に変えるのか。つまり、理想に近づけるようにしてちょっとずつ変えるのか、それともただ単に時代に合わないものを理想云々は置いといて変えるのか? もしそうだったら変えたことによって却って理想から遠ざかることも起こるだろうが...

 

 

保守は復古主義や反動主義ではない。

なぜならば、人間は過去も現在も未来も、永遠に不完全な存在ですから、その不完全な人間が構成する社会も、永遠に不完全であるしかないと考えるからです。

p.8

Question: 人間の理性を超えたものを支持するというのを厳密に適応するならば、それは「神」以外なのではないか?  どうして人知を超えたものの中に歴史や慣習が入るのか、いまいちよくわからない。というのも、歴史や慣習も、偶然が含まれた不完全な人間が作ったものであるから、それらも依然として不完全ではないのか。なぜそれらを重要視するのか。

保守は、あくまでも過去や現在を絶対視しません。もちろん、未来にも懐疑的です。
      保守は、長年続いてきた社会制度などには、豊かな経験知が内包されているため、基本的にはそれを継承していこうとします。しかし、保守は特定の制度や組織形態を絶対視することはありません。必要に応じて、変えなければならないことは、変えていこうという意思を共有します。

p.8

Question: より善い方向(またはより悪い方向)へ進んでいるということも否定するのか(相対主義)。

 

社会の変化に対応した「改革」をしていかなければ、保守すべき大切な価値を守ることすらできなくなります。しかし、すべて白紙の状態から新たなものを作り出すという極端な改革では、絶対にうまくいきません。やはりこれまでの経緯や歴史的蓄積、経験知などを尊重しながら、新しい社会変化に対応できるものへと徐々に変えていくということが重要です。

p.8

Question: 保守すべき大切な価値とは何か。

 

保守は「復古」でも「反動」でもなく「漸進的な改革」を志向する立場なのです。

p.8

Question: そんなのみんなじゃない?

 

ただし、保守は「大きすぎる政府」も「小さすぎる政府」も採用しません。「大きすぎる政府」になると、これは共産主義が陥った罠に見られるような、国家エリートの能力の過信による設計主義が強くなってしまいます。しかし、一方で「小さすぎる政府」も、マーケットの機能を過信しすぎるという点で大きな問題があると考えます。

p.9

 

だから、保守主義者は両者のバランスを重視した「中ぐらいの政府」を志向します。国家が肥大しすぎることもなく、またマーケットに依存しすぎるっこともないような「適切な規模」を模索するのが保守の立場です。

     保守は、「極端なものを疑う」という傾向があります。やはり「極端なもの」の中には、バランス感覚を欠いた過信や驕りが内包されていることを、保守思想家は冷静に見抜いているからでしょう。

p.9

Question: じゃあ、その適切な規模って何?

 

中島の保守派への自覚: 19歳の頃から保守派だと自覚。ひとりは西部邁。もうひとりは親鸞(p.9)。

 

(2): 右翼

さきほど、保守は理想社会の実現を断念しているとお話ししましたが、実は右翼は、理想社会の実現は可能だと考えている側面があります。

p.10

 

右翼は基本的に人間の理性による合理主義を信用しません。

p.10

 

右翼の考えでは、日本というのは統治者と国民が神意に従って一体化した世界です。日本人であれば、みんなが神への敬意と畏怖の念をもち、神々の心に触れ合うことができる「大和心」をもっていると考えました。つまり、右翼の人たちは、理性的な計らいを放棄し、神々との一体化を体得する純真な「大和心」を共有することで、理想社会は自ずと成立すると考えたのです。

p.10

 

右翼は過去に遡行して理想的な平等社会に近づくと考える。

右翼は世界中の原理主義者と同様に、過去の純粋な民族共同体において、理想社会が成立していたと考えます。そして、その輝かしい時代に戻りさえすれば、素晴らしい世界に回帰できると考えています。

p.10


「一君万民」「神風連の乱

そもそも右翼の思想と近代的統治の論理は一致しません。何せどんな政治がいいかを考えるような「計らい」を「漢意」として退けるわけですから、右翼は根源的なところで近代国家のあり方を懐疑しています。
         彼らにとっては、すべてを天皇の大御心(おおみごころ)にお任せすれば、世の中の政治は自ずとうまくいくはずで、国民はただ純真な心によって繋がりあい、その心を和歌によって表現することで分かち合うことが重要になります。彼らの発想では、「太陽」としての天皇が、大御心という「日光」を「大地」(=国民)に平等に降り注ぐことによって、君民が一体化した平和な平等社会が成立すると想定されていました。

p.11

 

現実は平等ではなく苦しい貧民と下層民が存在する。それはなぜか。そこには暗雲が存在するからだと考えて、邪魔を取り除こうと考える。邪魔なやつを「君側の奸」という。「君側の奸」は悪徳政治家・資本家など。やつらを殺して「暗雲」を取り除けば日光が届き「一君万民」の理想社会が取り戻すと考えた。大正後期から昭和にかけて起きたクーデターやテロの論理。


理想的な平等社会。過去を理想とする。計らいはいらない。

彼らは、「君側の奸」さえ殺してしまえば、あとは自然と理想社会が誕生すると考えていましたから、一部の人間を除いて、テロ・クーデター後の政治体制をどうするかというプランを持っていませんでした。むしろ、そのようなプランニングをすることは「漢意」の発露であり、「計らい」を積極的に捨てることこそが重要なのだと考えていたのです。

p.12


Question: このような頭のおかしな思考の持ち主はごくごく少数ではないか? または昔は思想に力があったからこのような人たちも多かったが、現代では思想は衰退したから、このような人々は右左関係なくほとんどいないのではないか?

 

(3): リバータリアニズム(自由至上主義)
自由を最大限に重視する考え。そのなかでもいくつかある。


   (i): アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)

国家の存在を否定してすべてを資本主義経済のマーケットに委ねるという立場。


   (ii): 最小国家論(R.ノージック)
国家を認めるが、その機能を司法・治安・国防に限定する。

   

   (iii): 古典的自由主義(F.ハイエク)
行き過ぎた国家によるマーケットへの介入を批判して自由な経済活動の推進。

例えば「自由」を極端に推し進めていくと、世の中の格差は拡大し、「平等」は失われていきます。

p.12

 

一方で、「平等」を極端に推し進めていくと、今度は「自由」が制限されることになります。

p.12

 

 

3. 新自由主義の破綻「すべり台社会」熱狂する世論  足元を見つめなおせ

世の中の社民主義者やアナーキスト系左派、そして保守主義を標榜する人までもが、この結果[引用者注: 小泉の圧勝]を支持していました。

p.14

 

だから今、私はもう一度主張したいのです。「自分の依って立つ思想の根本を見つめなおしましょう」と。そうしないと、また「改革」の熱狂の中で盲目的になってしまうし、「ワンイシュー」の是非だけで、投票を行ってしまうことになってしまいます。そうならないためにも、じっくりと思想に立ち返って、理念の確立をするべきだと思います。

p.15

 

今は自民党民主党の二大政党制の方向に向かおうとしていますが、私はそもそも二大政党制には反対です。日本は他党による連立制がいいと思いますが、……

p.15

 

やはり、自民党は保守思想をしっかりと理解し、これまで行ってきた新自由主義を反省したうえで、国民生活をしっかりと支える「中くらいの政府」を目指してほしいと思います。

p.15

 

しかし、今のままでは場当たり的な政策を両政党が提示し、日本がどのような国を目指していくのかが見えにくい状況が続いてしまうと思います。そんな状況が続けば続くほど、国民の政治不信は高まり、最終的には「誰が政治をやっても一緒」というあきらめムードやシニシズム(冷笑主義)が蔓延してしまうことになります。こういう状況は、どうしても極端なカリスマ的指導者を求める方向に向かいやすく、非常に危うい状況が生まれることになります。

         そんな時代に日本が突入しないためにも、じっくりと思想を見つめなおすことが、いま重要なのではないかと思っています。

p.16

 

(つづく)

*1:ページ数は私が勝手につけているものに過ぎない