疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.2 『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について 

とりあえずアップ

中島批判がめっちゃ多くなるので。何個にもわけて議論する。

読書感想#13: 中島岳志著『「リベラル保守」宣言』『じゃあ、北大の先生に聞いてみよう--カフェで語る日本の未来』にある中島の記事について No.1 

中島岳志の思想批判

 

 

第三章 橋下政治への懐疑 pp.135-153

まとめ

第三章は橋下政治への思想的な批判である。前半は橋下徹の思想である「法化社会」への異議と橋下の破壊主義を指摘する。後半は1965年の福田恆存の「伝統技術保護に関し首相に訴ふ」という公開建白書を紹介して最後には橋下批判へとつなげていく。

橋下徹は一見すると保守的に思われる。例えば、朝日新聞批判や日教組批判や国旗国家条例の制定などである。したがって、保守派から橋下への支持があったり中には彼を救世主と見なす論客もいる。だが、彼の思想や行動には保守派が看過できない側面があり、彼は反保守と言わざるを得ないとのことである(pp.136-137)。

彼の考え方は保守的どころか、反保守的であると言わざるを得ないことに気づきます。

p.137(Section: 「法化社会」への異議 pp.136-141より)

というのも、中島によると橋下は保守が重要視する歴史や伝統や慣習に価値を置いておらず、むしろそれらを危険視しているとのことである(p.137)。それが端的に著された例が2004年の兵庫県西宮神社の「福男選び」をめぐる騒動に対する橋下の意見である(pp.137-141) 。それは前年に転倒して福男になれなかった人物が翌年に仲間を集めて他の走者を妨害して福男になり騒動となった。「国民の良識に照らし合わせれば、神事において他者の進路を妨害して「一番福」を獲得するというのは「賤しい」「卑怯」とされ、非難の対象」(p.138)であるが、橋下はそれをルールをかいくぐる素晴らしい行為であるとして称賛した。橋下にとって「競争に勝つことこそが重要であって、そのためには明文化されたルールに反しない限りは「何をやってもかまわない」(p.140)」。彼はさらに「「行動の基準」は「明確なルールのみ」で、モラルや道徳、作法、マナー、暗黙のルールに構う必要はない」と言い放った」(p.140)。

引用文(1)

彼にとって、「道徳」や「倫理」は歴史的に構成された社会的・集合的なものではなく、あくまで「個人」の価値観にすぎないのです。守るべきルールは、あくまでも明文化された法のみであって、それ以外の価値観は介入する余地はありません。むしろ社会の暗黙的なルールやモラルの存在は「危険」ですらあると言うのです。

p.140

 

橋下のこのような考え方は「法化社会」というものに直結すると中島は指摘する(pp.140-141)。つまり、橋下の考えは「共同体の掟や他者との話し合いによる合意形成を重視せず、法によってすべてを規定し、争いの解決を導く社会」(pp.140-141)へと導くのであると言う。例えば、自分の子供が隣の同級生を殴って怪我をさせた場合、これまでならば親同士が話し合い、非があるほうが謝罪し解決が図られていた。が、法化社会では法というルールに全面的に依存するため即座に訴訟問題へと行きます。したがって、橋下の望む法化社会は明確なルールと交渉術が重要になり、道徳や倫理は個人の価値観として退けられる。

橋下氏の考え方では、法化社会においてはリーガルマインドとともに交渉術こそが重要になってきます。彼にとって価値があるのは道徳や倫理ではなく、「明文化されたルール」と「交渉のテクニック」です。一方、常識のような集合的暗黙知は、無意味かつ危険な存在なのです。

p.141

 

さらにこのような考え方は、急進的な設計主義と伝統的価値観の否定に直結すると中島は主張する。

引用文(2)

このような考え方は、急進的な設計主義と、伝統的価値観の否定に直結します。橋下氏は、「大阪市の解体」を一気に進めるべきだと主張しました。とにかく多くの権益がからむ政治課題の解決には、話し合いは無駄で、トップダウンによる独断的な改革こそが必要であると主張しました。

pp.141-142(Section: ラディカルな破壊主義 pp.141-143)

 

橋下氏にとって、伝統や道徳は、既得権益を温存させる悪しき価値と捉えられています。歴史的に構成された価値観や経験知は日教組、左派メディア、自民党、電力会社と同様に旧体制の象徴として解体されるべき存在なのです。

p.145(Section: 「中央政治をぶっ壊す!」という愚行 pp.143-146より)

 

もちろん、保守思想家は橋下のようなラディカリズムを拒絶する。さらに橋下の社会的経験知や良識や伝統の否定も、保守思想家が彼を拒絶する理由である(pp.142-143)。結論として中島は橋下は反保守であると断罪する。

こうして考えてみると、橋下氏のラディカルな改革熱は、反保守的な態度としか言いようがないということがわかると思います。

p.143

 

 

次に中島は1965年4月に福田恆存が提出した「伝統技術保護に関し首相に訴ふ」という公開建白書を解説する。福田はここで保守思想の真髄である抽象的な概念よりも具体的な物への重視を示した。

福田は戦後民主主義という抽象的で空虚な観念よりも、具体的な物への愛着を重視しました。

p.151(Section: 具体的伝統を欠いた愛国心の危険性 pp.150-153より)

 

福田は具体的な伝統なき抽象的な愛国心はウルトラ・ナショナリズムへと容易につながると指摘する。さらに抽象的な道徳の押し付けは偽善を生み出すと指摘する。

福田は、具体的な伝統をないがしろにし、愛国心を持つことを強要すると、「ウルトラ・ナショナリズムといふ国粋思想」の復活につながると厳しく批判しています。また、道徳を抽象概念として押しつけてばかりいると、自らの正義により他者を断罪する「偽善的正義派」を生み出すことになると警告を発しています。
    福田にとっては、愛国心も道徳も極めて具体的なものでした。それは「期待される人間像」などという抽象的存在ではなく、「手を触れ、心を通はせる事の出来る物そのもの」でした。

p.152

 

このような福田の批判は半世紀を超えて橋下にも通ずると、中島は主張する。というのも、橋下は、一方で文楽という具体的な伝統を軽視し、代わりに抽象的な愛国政策を進めたからである。

橋下前大阪市長文楽協会への補助金カットを打ち出し、議論になりました。一方で、彼は日の丸・君が代の教育の場における義務化などの愛国的政策を進めました。具体的な伝統技芸を軽視し、抽象的な愛国心道徳心を強要する姿勢は、まさに福田が警告したあり方そのものです。
p.153

 

Subsection: 「グレイト・リセット」への懐疑 pp.42-44にも橋下批判があるが、同じことが書かれているので、省略する。

 

批評

Question 1: 引用文(1)について。実際、価値観が多様化されている現代では、橋下の立場は一つの解決策だと思う。対して、保守には価値観の多様性についてあまり考えていないと思う。 特に、「リベラル保守」を自称している中島ならばその問題についてちゃんと考えなければならないと思われる。

 

Question 2: 引用文(2)について。橋下はどこで言っているの? 中島、出典なし。

 

Comment 3: 中島はここで橋下の思想的な背景を批判している。政策は直接的には批判していないのである。さらに、中島が橋下に関する引用文を引いた著書は (1) 橋下徹『まっとう勝負!』と (2)上山信一(うえやましんいち)『大阪維新---橋下改革が日本を変える』(角川SSC新書 2010年)しかない。評者としては橋下・堺屋太一著『体制維新---大阪都』 を批判して欲しかった。そこには政策が書かれているからその政策について批判して欲しかったのである。評者は数年前に読んだっきりであり忘れてしまったが、そこには大阪都構想の解説があったし、市長(府長?)の裏話も書かれていた。曰く、職員と政策についてガンガン激戦を交えて議論しているとのことであり、最終的にはトップである橋下が決断しているとのことであった(気がする)。いずれにせよ、『体制維新』は政策のことがちゃんと書かれたマニフェストであるので、中島には思想云々ではなくそれを批判して欲しかった。もっとも、中島には思想的なことしか関心がないのでそれは乗れない相談だと思うが.....

つまり、橋下批判は (1) 手続き的側面*1 (2)思想的側面がたくさんあったけれども(3) 政策的側面が少なかったということである。政策的批判があれば、アンチ橋下陣営にも多少なりともシンパシーを感じることができた。そして(3)こそを中島にしてもらいたかったということである。もしかしたら、他の人(藤井聡とか)たちがしているのかもしれないけれども

 

 

第四章 貧困問題とコミュニティ pp.154-171

まとめ

保守思想はこれまで貧困問題や崩壊したコミュニティの問題に積極的に行動していない(p.161)。代わりにそのような問題は左派陣営の活動が目立っている(p.161)。しかし、まさに貧困問題およびコミュニティの再建こそ保守の本領発揮であると中島は主張する(p.165)。

保守は「裸の自由」を否定する。自己の存在を決定づけるものに対して意識的に自覚する。例えばそれは生まれる地域であったり国家であったり母国語などである(p.155)。ここで福田恆存の引用文を孫引きする*2

私たちが真に求めてゐるものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起つてゐるといふことだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしてゐるといふ実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはゐない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する---ほしいのは、さういふ実感だ。

福田恆存『人間・この劇的なるもの』より, pp.155-156 

 

福田をはじめとする保守思想家が重要視することは自己をめぐる環境への自覚である。それらを再帰的に引き受ける意志が大切なのである(p.156)。それによってはじめて自身のアイデンティティを構築できる(p.156)。

これは逆に言えば、自己を規定する社会的環境を失うと、自己のアイデンティティを崩壊させてしまう可能性があることを示している。そして、自由になりすぎてアトム化してしまうと人はアイデンティティを失い、狂気へと導かれると中島は主張する。

自己を規定する社会的環境を失うことは、自己を喪失させ、アイデンティティを崩壊させます。あらゆるものから自由になるということは、社会の中で「一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしてゐるといふ実感」を失うことにつながります。個人アトム化し、家族、共同体、サークル、会社、組合などの共同体を喪失すると、人は生きる意味を見失います。
    自己が何故に存在し、いかなる意味を持って生きているのか。
    そんなアイデンティティの実感が見失うとき、人は狂気に導かれるのです。

p.157(Section: 人間は何に規定されて生きているのか pp.155-157より)

 

その一例が秋葉原事件の容疑者である加藤智大である。加藤には「「ある役を演じなければならず、その役から降りれば、他に支障が生じ、時間が停滞する」という実感」(p.159)が失われていて、自己のアイデンティティを担保する社会的環境が失われていた。それは新自由主義経済による非正規労働の増大が一因である。現代の派遣労働の環境は自分の存在を実感できるような有機的役割を失っており、それは個人から役割原理を簒奪していると中島は批判する(p.160)。

保守思想家こそが、この現状に立ち向かわなければならないと中島は豪語する。崩壊した共同体や中間団体を建て直し、できるだけ多くの人を社会の中に包摂して、人々に生きる意味を与えなければならないと考える(p.161)。

今こそ、保守が現代の貧困・格差の問題に取り組まなければなりません。そして、日本社会の社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)機能を高めていかなければなりません。
     これは若者の非正規労働だけでなく、乳幼児の虐待・放置問題、老人の孤独死・無縁死、高齢者の所在不明、高自殺率、商店街の衰退などにも関係する話です。共同体が相互扶助機能を失い、社会的なつながりが失われていることが諸問題の根源にあります。

p.161(Section: 現代的な生きづらさ pp.159-161より)

 

しかし、日本の共同体にはインクルージョン(包摂)の中にエクスクルージョン(排除)の力がしばしばある。つまり、閉鎖的なコミュニティは結束型(ボンディング)であるため、一方で自己にアイデンティティを与えてくれ、その人に生きる意味を与えてくれるが、他方でそのようなボンディング関係では同調圧力村八分排除の論理も働いてしまう。この負の側面はたとえ倫理的批判をしてもあまり意味がなく、人間の不完全性から不可避的に生じると中島は言う(pp.162-163)。さらに、このような関係が続くと人間交際が固定してしまい、異なる他者と議論するという公共精神が失われる可能性がある(p.163)。

保守思想を重視する人間は、旧来の左派のように「抑圧的な共同体からの解放」という「裸の自由」を主張するのでもなく、閉鎖的で固定的な共同体に固執するのでもない平衡感覚が要求されます。つまり、安定的な関係を維持しながら、いかに外部の公共性とクロスし、人間交際を闊達にできるのかが問われるのです。

p.164(Section: ボンディングとブリッジング pp.161-165より)

 

このようなボンディング関係の良い側面を維持しながら、それの悪い側面をなくすためには、ブリッジング(橋渡し型)の関係が今日のコミュニティに必要となると言う(p.164)。

チェスタトンが言うように、同質的な者ばかりとの関係性に安住していると、価値の葛藤に耐えられない人間になってしまいます。他者との交際の中で世界への「驚嘆」と「安住」という弁証法を引き受け、パブリック・マインドを醸成する営為こそ、保守が選択すべき行動です。

          そのためには、ロバート・パットナムが論じる「ブリッジング(橋渡し型)」が今日のコミュニティやソーシャル・キャピタル(社会関係資本)には必要となってきます。社会的包摂を図るためには、単一的で閉鎖的な関係性だけでなく、複数の公共的集合を行き来するような多元的ブリッジングが重要です。

p.164

 

引用文(1)

そして、このボンディングとブリッジングのバランスをとりながら、人々を社会の中に包摂していくのが、トポスを失った現代社会に求められる施策と言えるのではないでしょうか。

p.164

 

日本型雇用・福祉が崩壊してしまった現在、どのようにすればいいのか? かつてのシステムに戻せばいいというものでもないので、新しい社会保障のあり方を模索するべきだと中島は主張する(p.168)。では、何か考えがあるのか? 中島は人生の後半だけでなく前半にも社会保障が充実するような制度にするべきだと言う。

引用文(2)

これまでは国による社会保障の多くは、人生の後半に集中していました。そして、生活保護という公的扶助は、日本型雇用・近代家族モデルから外れた人々に付与される例外的措置でした。しかし、このモデルはもう成り立ちません。これからは人生の前半にも社会保障のセーフティ・ネットがかけられるような制度作りが求められます。失業給付などの社会保険の充実と求職者支援制度の整備によって、一気に生活保護受給に辿りつかないシステムを作っていかなければならないでしょう。日本の基盤を守るためには国家の強靭な力が必要なのです。

pp.168-169(Section: 日本型雇用・福祉の崩壊 pp.167-169)

 

最後にキーワードとして「中間的就労」(p.170)という言葉を中島は言う。そしてそれを実践している自治体を例にしている。

ここでは「生きがい」や「必要とされていること」が重要なポイントとなります。生活保護者受給者は、子供たちのために日々教え方を研究し、教材の工夫をしています。子供達から頼りにされているという実感が、前向きな人生を支えるのです。

    このように生活保護行政に社会的包摂の施策を接続することで、受給者をエンカレッジする(力づける)という方法が、各自治体で模索されています。

p.171(Section: 共同体と中間的就労 pp.169-171より)

 

批評

Comment 1: 引用文(1)について。あまりにも抽象的な提案。具体性が一切ない。

 

Question 2: 引用文(2)について。一応、これが一つの考え。ふわっとしてるね。じゃあ、財源はどうするの? ただでさえ、高齢者が毎年増えていて社会保障費が増えているにもかかわらず、さらに人生の前半の方もサポートしなければならないとすると、そのお金はどこから捻出するの?

 

Comment 3: 最後に釧路市の中間的就労政策という具体的な政策に少し言及されている。が、基本的にはいつものことで抽象的な議論に終始している。

 

 

第五章 「大東亜戦争」への違和 pp.168-198

まとめ

本章では「大東亜戦争」についての総括を試みている。中島は祖父母や両親を通じて「大東亜戦争」の経験を受け継いでいると感じているとのことである(pp.174-175)。したがって、左派の「太平洋戦争は侵略戦争だった」という主張は発作的に反論したくなると言う(pp.174-175)。 

左派の議論に対する違和感は十分に理解できます。私自身、自己の経験を超えた苦悩や決断の中で命を失っていった先人たちに対する敬意の念があります。地方に行って護国神社があればお参りをしますし、靖国神社の前を通る折には、時間をとって参拝します。

p.173(Section: 祖父と「大東亜戦争」 pp.173-175より)

中島は「祖父母の苦難を思い、日本の命運に連なろうとした兵隊たちの感情と行動を擁護したくなります」(pp.174-175)と言う。

 

だが、大東亜戦争の全面的肯定は全面的否定と同じぐらいに問題がある。林房雄が指摘するように大東亜戦争には欧米列強の帝国主義に対抗する東亜百年戦争という側面が確かにあった(p.175)。
しかし、同時に日本がアジア諸国を植民地支配した。孫文やR.B.ボースなどは日本の帝国主義化を批判した(pp.175-176)。

 

大東亜戦争の理念には大東亜共栄圏や八紘一宇などの世界構想があった。中島はその思想に現れる左翼的理念を保守の立場から批判する(pp.176-177)。

大東亜戦争」では、帝国主義を打破しアジアを解放すると言いながら、自らが帝国主義化しアジアを支配するという自己矛盾を突破することが期待されました。そして、その具体的ヴィジョンとして、「大東亜共栄圏」の構築と天皇のもとに世界を統一する「八紘一宇」の世界構想が掲げられました。これは近代的世界システムを解体し、「一つの世界」を現前させるという究極のグローバリズムということができるでしょう。
     北一輝大川周明石原莞爾(きたいっき、おおかわしゅうめい、いしわらかんじ)といった思想家たちは、革命や戦争を契機とする「世界の統一」を構想していました。北と大川は、その実現のため昭和維新の必要性を説き、クーデター計画に関与しました。石原は満州事変の首謀者のひとりとなり、「王道楽土」の建設に夢を託しました。
     ここに現れた思想は、極端なまでの設計主義とグローバルな改造主義です。彼らは宗教的超越者を念頭に置いているとはいえ、人間の理知的な社会改造によって、理想的な世界を構築できるという観念を共有していました。最終的には「世界連邦」のような政治的統一が達成され、個別的な国家の存在は超克させると考えたのです。
      しかし、「大東亜戦争」を支えた思想やヴィジョンまでをも全面肯定することは、どうしてもできません。そこには極めて左翼的な思想が内在しており、それを支持することは保守思想を放棄することにつながると考えるからです。保守思想の根本に関わる重要なポイントだと捉えています。

pp.176-177(Section: 「大東亜戦争」と設計主義 pp.175-177より)

 

先の大戦を生き延びた保守思想家は大東亜戦争戦後民主主義に対して批判的な立場であった。

私が「大東亜戦争」に対して違和感を覚えるのは、あの時代を生きた保守思想家が、「大東亜戦争」に対して極めて批判的な立場をとっているからです。

p.177(Section: 保守思想家たちが示した「大東亜戦争」への違和感 pp.177-181)

 

田中美知太郎1971年『時代と私』pp.177-178
池島真平 『雑誌記者』pp.178-180
福田恆存 「言論の空しさ」pp.180-181

 

大東亜戦争戦後民主主義は連続したものだった。双方の精神は「軽佻浮薄」であった(p.181)。

 

最後に中島は真の大東亜戦争の総括をしなければならないと主張してこの章を終える。

大東亜戦争終戦から70年。保守思想にとって「大東亜戦争」とは何かという問いを改めて立て直す必要があるのではないでしょうか。「反左翼」という脊髄反射を超えて、本格的な思想的格闘を行わなくてはならないと、私は思っています。

p.181

 

批評

特になし。内容が浅すぎて批評する値すらない。

「私がアジア主義や現代インドの研究に従事し、貧困問題に関与している背景には、祖父から受け継いだスピリットがあるのかもしれません。」(p.174)や「祖父が抱いた素朴なアジア主義的感情は、よく理解できます。アジアの苦境のために手を差し伸べ、具体的な行為を通じて信頼関係を結ぼうとした彼を、私は誇りに思っています。」(p.175)と書かれているが、このようなことから中島がアジア主義を研究しているのだなと、彼の思想的背景がわかった。

 

要は中島はまっとうな愛国者であるが、先の大戦の総括となったときに左派連中と対立せざるを得ない。したがって、とりあえず「思想面」を設計主義的だと批判しているが、これはそれほど大した批判ではないと思う。より実際的な「アジアを侵略したのか」「アジアを解放したのか」といった問題が左右を分断しているわけであるから、このあたりのことをはっきりと議論しなければ、八方美人としての振る舞いしかできなくなる。中島の今後の展開に期待する(実際はどうでもいいけど)。

 

 

(つづく) 

*1:香山大先生(笑)は小泉にせよ橋下にせよ彼らは「All or Nothing」だったり「Yes or No」と極端な選択肢を提示することによって国民を騙しているみたいなことを主張している。要は手段を批判している。しかし、「政策についてはどう思いますか?」と聞かれたら、「私は政治家ではないので....」と逃げる有様である。無様やな.....

*2:この引用文は全く同じ文章がもう一度、別の箇所で重複されている(p.198)。それほどに、中島にとって重要な箇所である