疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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サボり記事: ロシア人の名前についての小話

今日もサボる。

でも、適当に書くのではなく、適当な話を書く。

 

私がロシアに留学していたとき、担当の先生の名前がアンドレイ(Андрей)というものであった。

ある日、ロシア語を勉強していたら、アンドリューシャ(Андрюша)という名前が出てきた。それはアンドレイの別名とのことであったので、先生に聞いてみた。「先生、Андрюшаって何ですか?」

 

聞くところによると、アンドリューシャとは家族や恋人などの親しい人がアンドレイという名前の人に言うときに使う言葉だそうだ。例えば、アンドレイの母親がアンドレイを呼ぶときは、「アンドリューシャ」というそうだ。

 

欧米では名前の省略というものがある。たとえば、ウィリアム(William)はビル(Bill)である。ロシアも同様な文化があるということだ。

 

省略の名称は、ニュートラルのものもあるとのことである。つまり、同じ名前でもいくつかの省略名が存在するとのことである。

例えば、エカチェリーナ(Екателина)という女性の名前には、2つの別名がある。一つは、カーチャ(Катя)であり、もう一つはカチューシャ(Катюша)である。

カーチャの方はニュートラルなので基本的には誰が言ってもいい。だが、カチューシャは親しい人たちしか言わない。

 

私はそうなんだと納得して、このように質問した。

 

私:    なるほど。それはおもしろいですね。それでは、あなたの友達にアンドレイという方がいますけれども、彼もあなたのことをアンドリューシャというのですか?

 

アンドレイ:   いや、アンドリューシャとは言わないよ。そうじゃなくて男友達が言うときはアンドリューハ(Андрюха)だよ。

 

私: ふぁは???

 

おもしろいというか、めんどくさい文化である。ロシア文学とかを読んでいたらそういう名称の変化に遭遇するらしい。 

 

 

僕から以上