疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

数学・論理学・哲学・語学のことを書きたいと思います。どんなことでも何かコメントいただけるとうれしいです。特に、勉学のことで間違いなどあったらご指摘いただけると幸いです。 よろしくお願いします。くりぃむのラジオを聴くこととパワポケ2と日向坂46が人生の唯一の楽しみです。

数学におけるアイディアとコンセプト

多くの人は数学は難しいと思われている。だから、いつの世もどこでも数学嫌いが多い。

確かに難しい。だが、数学を学んで私が思うことは「数学のアイディア自体は難しくなくシンプルである」ということである。例えば、微分のアイディアは接線であったり速度であり、積分のアイディアは面積である。ホモトピーのアイディアも単純である。数学のアイディアを学ぶことはそれほど難しくないと思うし、挑戦してほしいと思う。

だが、数学のいいところは単純なアイディアを概念化(conceptualization)することである。こちらは難しいかもしれない。だがより一層面白い。

さらに証明などのテクニカルな問題も生じてくる。

 

一般の人は数学のアイディアの方は学んでほしいと思う。ただ、コンセプトの方はわからなくてもいいし、テクニカルなこともできなくてもいいと思う。もちろん、そちらの方がつまらないという意味では決してない。そちらの方が面白いから数学をやっているのである。が、そちらのほうは万人受けしない。

 

これは次のような喩えができるかもしれない。

海外の文学作品例えばシェイクスピアゲーテなどの本は当然ながらその現地の言葉で書かれている。一般の人には言葉の壁があるのでとても原著に手をつけることはできない。だが、翻訳された本ならば一般の人にも理解できる。そして名作に感動することができるのである。

もちろん、翻訳であるため限界がある。もっと知りたい人や研究者ならば原著で読まなくてはならない。そしてその作品の奥深さを知ることができるのである。さらに原著が読めるならば、翻訳本を見て「あぁ、うまい表現しているな」とか「これはあかんな」などと現地の言葉を知っているが故の特権がその人には与えられているのである。

同じように、数学のアイディアだけならば万人にも理解できるだろう。翻訳された名作でも我々は感動するのであるから、たとえアイディアだけであっても感動するだろう。だが、より一層、文学作品を理解するためには現地の言葉を知らなければならないのと同じように、数学のコンセプトを理解するためには数学を真面目に勉強しなければならないのである。それは辛いことかもしれないが、そこを乗り越えたものにはある種の特権が与えられている。原著を読める人と同じように。

 

 

僕から以上