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杉田水脈 論文『「LGBT」支援の度が過ぎる』の内容のまとめ(批判・批評)

今回は今話題の新潮45の2018年8月号に寄稿された杉田水脈衆議院議員(以下敬称略)の論稿『「LGBT」支援の度が過ぎる』pp.57-60の批判・批評まとめです。

新潮45 2018年08月号

新潮45 2018年08月号

 

メディアは杉田の「生産性がない」という文章を切り抜き、批判・非難してます。ですが、メディアの言っていることが本当かどうか一度確かめた方がいいと思います。短い文章ですから立ち読みでもして直接確認した方がいいと思います。

以下に杉田の論稿の要約と評者の感想を書きます。その後で詳しく批評します。ただ、論文をまとめるだけです。特に批評はしません。その理由は次です。もし批評するならば、つまり評者の感想を記すならば、その根拠を示さなければなりません。しかし、そのような根拠を示すのがめんどくさいので、ただ単に論稿をまとめることしかしませんでした。だたし、注釈には引用つきで個人的なコメントを書いています。

 

 

要約
朝日新聞毎日新聞などのリベラル左翼メディアはLGBTの問題を積極的に取り上げ、それを社会的問題と捉えて社会制度の改善を訴えている。だが、欧米の文化や伝統と異なり、日本には歴史的にもLGBTを差別するような風土は存在しない。彼ら彼女らが抱えている問題は、社会的な問題ではなく、自分たちの親が自分たちを認めてくれるかという個人的な問題であり、それが解決されれば、日本では生きやすい。基本的にはLGBTの問題は社会問題ではなく個人問題であるが、仮に行政が支援するならば、そこには税金が投入される。したがって、LGBT支援にせよ何にせよ我々の税金を投入してもよいとする根拠・大義名分を示さなければならない。例えば、不妊治療のために税金が使われることは少子化対策という大義名分があるし、T(トランスジェンダー)は性同一性障害であるため、性転換手術のための支援も考えていいのかもしれない。対して、LGBTには子供を産むという意味での「生産性」がない。したがって、少なくとも「LGBT支援の理由は少子化対策のためである」という主張は税金を投入するための大義名分とはならない。しかしLGBTの支援の根拠が曖昧にもかかわらず、メディアがもてはやすから、政治家がLGBT支援は人気取り政策になると勘違いしてしまう。さらにメディアが多様性を礼賛し、どんどん例外を認めることとなれば、歯止めが効かなくなり、これまでの常識を失い、秩序が崩壊し日本がなくなるかもしれない。そうならないためにも朝日新聞などのメディアはLGBTの問題を冷静に批判するべきである。

 


感想
杉田自身の経験を過度に一般化している節があり事実誤認を犯しているところがあるが、言いたいことはわかる。要は性的マイノリティの支援に対して冷静になるべきであり、その支援に根拠があれば当然、税金は投入されるべきである。だが、「欧米がやっているから我々もしなければならない」というような曖昧な根拠で支援を行えば、多様性を認め過ぎて秩序が崩壊しかねない。そのような懸念を表明しているだけである。LGBT支援の杉田への批判をするならば、彼女の事実誤認を指摘するか、LGBT支援の大義名分を堂々と主張すればいいだけの話である。しかし、「生産性」というキーワードを引っ張ってきて彼女が言っていないことを言ったとでっち上げて非難することは間違ったことであるし、彼女への人格否定などは単なる誹謗中傷に過ぎない。まだ未完

論文の詳細

この論文(pp.57-60)には段落が19個ある。 

 

p.57: LGBT報道について
各新聞社で"LGBT"と検索をすると、7月8日時点で朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件それぞれあった。キーワード検索であるにせよ、傾向としては朝日や毎日などのリベラルなメディアがLGBTについて積極的に報道していることがわかる。杉田は彼らの報道に対して違和感を覚えている。

朝日新聞毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをえません。

p.57

 

 

pp.57-58: LGBT報道の背景

杉田がそのような違和感を覚えているのは、報道の背景にある多様性の尊重の考えである。

最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。

pp.57-58

 

つまり、日本にはLGBT差別が存在し、それによって苦しめられている人々がいて、メディアはその解消を訴えているということである。

 

 

p.58: LGBTへの差別は存在しない

しかし、杉田曰く、日本にはLGBT差別は存在しない。例えば、歴史的に見ればキリスト教社会やイスラム教社会は同性愛が禁止されたり、同性愛者たちは迫害を受けていたが、対して日本には同性愛の人たちを差別したり迫害した歴史は存在しなかった。むしろ日本は同性愛者に対して寛容な社会だった

*1

。さらに、杉田は性的マイノリティの人たちに対してこう述べる。

しかし、LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか*2

p.58

 

p.58: 欧米との比較をする日本のマスメディア

どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。

p.58

 

p.58: LGBT問題は社会問題ではなく個人問題

LGBTの当事者の方たちから聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。

        これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか*3。p.58

 

 

pp.58-59: 問題の箇所

リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

         例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです*4

pp.58-59

 

p.59: LGBとTの違い。性的嗜好と障害

杉田はLGBとTを一緒くたにするべきではないという。なぜなら、LGBは性的嗜好であり、対してT(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害であるからである。トランスジェンダーは障害であるため、そのための支援を行政が行ってもいいのではないかとも主張する。

ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすること自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致していないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させていくのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません*5。p.59

 

対して、そのほか----つまりLGB(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル)----は単なる性的嗜好に過ぎない。

以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性がいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました*6

p.59

 

マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

p.59

 

pp.59-60
最近の報道とその問題

杉田は朝日新聞「高校生、1割が性的少数者」という記事に言及する。しかし1割もの性的少数者がいるのは、メディアが作っている節があると言う。

それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。

p.59

 

最近の報道、制服問題とトイレ問題。多様な性に対応するためにLGBT向けに自由に制服が選択できるという試みにたいして、メディア(朝日)はp.60「「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。」と疑問投げかけている。そしてアメリカでのトイレ問題の大混乱を指摘して秩序の混乱を指摘する。

Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。

   最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクション = 性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル = 全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。

p.60

そのほかにもパスポートの性別欄にXが加えられたり、タイでは18種類の性別があると言われるし、アメリカ版のフェイスブックには58種類の性別が用意されていて、冗談のようなことが実際に起きていると指摘する。

 

 

p.60: 多様性を認めよというとLGBTだけではなくなる

多様な性を認めよとなると例えば、兄弟婚や親子婚なども認めろというようになるだろう。そうなればどんどん例外を認めることとなり歯止めがかからなくなるのではないかと杉田は危惧する。

多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが利かなくなります*7。p.60

LGBT報道はこうした傾向を助長させかねないと杉田は危惧する。むしろLGBTに対して冷静な報道をするべきではないかと主張する。このまま続ければ「常識」や「普通」が壊されて秩序が崩壊し、日本がなくなるのではないか、そのように私はしたくないと言い、本稿を終えている。

LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ、冷静に批判してしかるべきではないのかと思います。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

p.60

 

 

参考文献

まともな文献

 

[1] LGBTの現状と課題
性的指向又は性自認に関する差別とその解消への動き ―
中西 絵里 (法務委員会調査室)

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2017pdf/20171109003.pdf

 

自民党の考え

[2]  LGBTに関するわが党の政策について | 政策 | ニュース | 自由民主党

 

LGBT団体: LGBT法連合会

[3] 【声明】衆議院議員杉田水脈氏の論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」 に対する抗議声明 | ニュース | LGBT法連合会

 

世論調査

[4] 人権擁護に関する世論調査 -内閣府

 

そっち系の批判

Wezzy(ウェジー)

[5] 杉田水脈議員の優生思想「LGBTは『生産性』がないので税金を使って支援する必要はない」 - wezzy|ウェジー

 

[6] 「杉田水脈議員は差別主義者ではない」と擁護する保守系YouTuber・KAZUYAと、杉田議員の深い関係 - wezzy|ウェジー

 

[7] 「性同一性障害」が国際疾病分類の精神疾患カテゴリから除外。診断書が思い出になる前に - wezzy|ウェジー

 

あのLITERAです。

[8] 杉田水脈議員のLGBT差別発言は自民党公認! 安倍首相は差別発言まき散らす杉田を「素晴らしい!」と絶賛|LITERA/リテラ

 

[9] 杉田水脈から逃げ出す安倍応援団の面々! 百田尚樹は自分のLGBT差別を棚に上げ「知的レベルが低い」|LITERA/リテラ

上の記事曰く、今回はあまり援護が少ないとのことです。 

 

 

常見 陽平

[10] 杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛だ – アゴラ

 

[11] 杉田水脈議員、本当に真摯に受け止めたんですか? – アゴラ

 

とりあえず

[12] 杉田議員の「LGBT非難」の度が過ぎる

 

あっち系の反応

[13] 杉田議員の文章に、難病患者支援団体「真っ先にひらめいたのは「植松被告と根っこは同じだ」と…」→ ネット「LGBTはどこへ?」「酷い拡大解釈、印象操作」

 

小川榮太郎:  杉田に対して賞賛しきっている。

f:id:yoheiwatanabe0606:20180809165121p:plain

 

[14] KAZUYAチャンネル

「LGBTカップルは生産性がない」というのが話題ですが… - YouTube

 

[15] 杉田が「差別主義者だ」と言っている人は是非とも次の動画をみていただきたい。杉田は視覚障害者に対しての支援について活動している。そんな人がどうして「障害者を差別するやつ」になるんだ!?

杉田水脈の国政報告「県連が決まりました~視覚障害の方の雇用について」杉田水脈 倉山満 【チャンネルくらら・6月23日配信】 - YouTube

 

 

 

 

僕から以上 

 

*1:自民党の『LGBTに関するわが党の政策について』[2]の「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」のQ.11 (p.14)によると、確かに、杉田の言うように日本はかつては同性愛に寛容な社会であった。A.11には次のように書かれている。「宗教的に厳格であった西欧社会等と比較し、日本は歴史的には同性愛に比較的寛容であったとされています。」ところが、この答えには続きがある。「しかし明治維新の頃から、同性愛をソドミーとして罪悪視していた西欧キリスト教社会の価値観や、同性愛を異常性愛に分類した西欧の近代精神分析学の流入などにより、急速に異端視されることとなりました。明治6年には「鶏姦罪」として懲役刑が科されることとなりましたが、明治13年制定の旧刑法には盛り込まれず、明治15年の同法施行をもって消滅しました。」

西欧の影響により一時的にせよ日本も同性愛を非寛容となっていた事実を杉田は物の見事に無視している。このような認知バイアスはおもしろい。

*2:杉田は同性愛者に対して寛容かもしれないが、だからといって自分の価値観を一般化して「LGBT問題は社会問題ではない」と言い切るのは早計である。[3]で指摘されているように、さまざまなデータから社会的な差別が存在していることは認めざるを得ない。[4]の(15) 「性的指向に関する人権問題」を参照せよ。例えば、[1] p.6ではLGBTの人たちが抱えている問題で「性的指向をカミングアウトしたら面接を打ち切られた」や「パートナーが重篤で入院したにもかかわらず、説明も受けられず、面接も受けることができなかった」や「同性パートナーと公営住宅への入居を申し込んだが、同居親族とみなされず拒否された」などがある。したがって、杉田の認識は客観性のない誤ったものである。ただし、これらのLGBTの問題が「税金を投入されなければ解決されない問題」なのかどうかは議論の余地がある。LGBTのすべての問題またはほとんどの問題は社会のマインドが変わることによって解決されるかもしれないからである。上の最後の例は行政のシステムを変えればよい。問題を解決するためには税金を投入しなければならないとは必ずしも言えない。

*3:LGBTの問題を矮小化している。前の注釈を参照。

*4:ここで注意しなければならないのは、杉田は(1) LGBTへの税金より不妊治療に税金をやれとは言っていないし(2) LGBTの人たちや身体障害者などのいわゆる「生産性」のない人は税金を投入しなくてもいいなんて満更にも言っていない。あくまでも、「税金を投入するならば、その根拠を示せ」ということである。杉田は「LGBT支援の根拠は何か」ということを問うている。ただ、KAZUYAが指摘しているように[14]「生産性」という言葉がなければ、ここまで波紋を広げることはなかっただろう。さらに「生産性」という言葉もなくても文章としては成り立っているから、別に「生産性」という言葉をわざわざ書く必要はなかったかもしれない。だが、その反論が[6]にあり、曰く「KAZUYAは「『生産性』っていう部分はいらなかったんじゃないかと思います。様々な意味で解釈されていますし、文脈的にはなくても問題ない文章でしょう」とも述べている。しかし、前後を見ても、また「生産性」という記述が削除されていても、杉田議員が「生きづらさ」を解消するために社会制度を整えることを否定するばかりでなく、まるで性的マイノリティは差別を受けているのではなく、「世の中は生きづらいもの」だということがわかっていない、それを乗り越える力がないのが問題と言わんばかりの主張をしていることに変わりはない。」とのことである。.....いやいや杉田は「「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません」といちおう述べてますけど....

*5:杉田は「T(トランスジェンダー) = 性同一性障害」と理解している。だが、この認識は正しくない。Tの方が概念としては広いという。「トランスジェンダー性同一性障害者と同一と解されてしまうことがあるが、性同一性障害とはあくまで医療的なケアが必要とされる場合の診断名であり、トランスジェンダーの中には自分の身体の性別に違和感(性別違和)を持ちはするものの、特に医療的な 治療を必要としない者もいる。」[1] p.4

*6:これも先ほどの誤りと同様に杉田は、自分の経験を過度に一般化させている。杉田はLGBをある種の趣味と思っているのかもしれない。つまりそのような趣味は変えることができたり、一時的なものとみなしているのかもしれない。しかし、LGBの当事者は自らの性的指向を選んだり変えたりすることができない。杉田にはその認識がない。[2]のQ7「本人の意思や趣味の問題ではないのですか?」には次の回答がある。「性的指向や性同一性は、ともに本人の意思で選んだり変えたりすることはできないものと考えられています。従って、本人の意思や趣味の問題であるとして片付けてしまうことは、誤りです。」

*7:杉田の指摘はその通りである。もしもLGBTが認められるならば、小児性愛者などの他の性的マイノリティにたいしてはどうなのかということになる。このような批判に対して[12]は苦笑している。「制服はまだしも、自分の好きな性別のトイレに入りはじめたら大混乱だ。LGBTどころかQ、I、P、X……Facebookは58も性別欄があり、わけわからん。同性婚を認めたら兄弟婚、親子婚、ペット婚、機械婚も出てくるぞ……。いやはや、言いたい放題もここまで来れば芸のレベル。」一方で、[10]では「やや飛躍しているように見えるが、たしかにご本人が指摘するとおり、そのような動きもある。しかし、それはそれで向き合うのが、人間ではないか。」と(よくわからないことを)言っている。だが、杉田への反論者はこの杉田の指摘に真摯に対応しなければならない。彼らは実質的には何も反論していない。