疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

数学・論理学・哲学・語学のことを書きたいと思います。どんなことでも何かコメントいただけるとうれしいです。特に、勉学のことで間違いなどあったらご指摘いただけると幸いです。 よろしくお願いします。くりぃむのラジオを聴くこととパワポケ2と日向坂46が人生の唯一の楽しみです。

Haskell 第1回: ゼロから始めるHaskell. HaskellでHello, World!を表示する

とりあえず今月もひとつ投稿する。
Haskellのことをまとめる。
また編集する。

Section 1: Haskellって何?
Subsection 1.1: 純粋関数型プログラミング
Subsection 1.2: 静的型付け
Subsection 1.3: 型推論
Subsection 1.4: 遅延評価

Section 2: 実装
Subsection 2.1: 環境設定
GHC(The Glasgow Haskell Compiler)
Stack
Subsection 2.2:
(未完)

立ち読み書評#5: 萱野稔人『リベラリズムの限界』

萱野稔人リベラリズムの限界』
リベラリズムの探求を通して見えてくる、リベラリズムの限界を提示した政治哲学入門書。


久々のブログの更新です。ネタはあったのですが、時間がありませんでした。1ヶ月に一回なんとか更新します。それも不完全ですが。

今回は萱野先生の新著『リベラリズムの限界』の立ち読み書評です。

リベラリズムの終わり その限界と未来 (幻冬舎新書)

リベラリズムの終わり その限界と未来 (幻冬舎新書)

カヤニスト(萱野のファンの名称)の評者は萱野先生の最新刊を立ち読みした。萱野さんは相変わらず議論が明確であるため、大体の議論は覚えている。だが、少し読み飛ばした箇所もあり、あまり理解していない箇所もある。ちゃんと詳細をまとめなければならないため、おそらく本書もそのうち買うだろう。

さて、書評であるが、今回はタイトル通り「リベラリズムの限界」について、議論されている。本書は第1章と第2章の2章編成であるが、それぞれの章でリベラリズムの限界を主張した。

第1章では、一夫多妻や近親婚を通じて、リベラリズムの原理(他者に危害が加わらない限り当人の自由は保障されるべきである)が適応される限界を議論している。

自称リベラリスト同性婚を認めるべきであると主張する。リベラリストは「公共の福利に反しない限り、個々人の自由は尊重すべきである」という立場から、「たとえ同性カップルが生活していて、あなたが不快な気持ちになったとしても、直接の害が出ていないために、あなたはその人たちの自由を尊重すべきである。したがって、同性婚を認めるべきである」と主張するのである。しかし、その原理に従うならば、一夫多妻であるカップルも、そして近親者のカップルも、他者に危害が加えられていないため、その自由を認めるべきである。だが、実際リベラリストはそのような主張はせず、むしろそれらを否定している。その矛盾に対して、リベラリストは「一夫多妻は女性差別だから認められない」や「近親婚は先天性異常の子供が生まれやすいから認められない」などと理由をつけるが、それらの理由は「同性婚のみを認める」ということを正当化できないという。リベラリストに否定的な人たちはこのような矛盾を「ダブルスタンダード」と非難する。このダブルスタンダードリベラリストの信頼を低下させる原因のひとつであると萱野は指摘する。

リベラリストは無条件にリベラリズムの原理(他者に危害が加わらない限り当人の自由は保障されるべきである)を適応しない、否、適応できないのである。リベラリズムの原理はリベラリストの「規範意識」の範囲内のみ適応されるのである。リベラリストの結婚の規範意識が「結婚は、近親者以外の二者間の合意である」というものであるから、同性カップルのみリベラリズムの原理が適応され、規範外である一夫多妻には適応しないである。さらに、近親婚がリベラリズムの原理を適応できないのは、近親タブーという規範意識があるからである。

総じて、第1章で示されているリベラリズムの「限界」とは「リベラリズムの原理は規範意識内でしか適応されず、規範外では適応されない」ということである。


第2章では、リベラリストの「弱者救済」について議論している。自称リベラリストは「経済的な弱者を保障するために、全員から税を徴収すべきである」と主張する。だが、他者の税を徴収するということは、他者の自由を侵害することである。一体、リベラリストはその自由侵害をどのように正当化されるのか?
萱野はリベラリズムの古典であるロールズの『正義論』をもとに議論する。ロールズの難しい主張を易しく説明する。その説明は圧巻である。
そのロールズの議論には「弱者救済に対する自由侵害の正当化」が書かれているが、そこには決定的な「限界」があることを萱野は指摘する。すなわち、「リベラリズムの原理自体から、弱者救済のための税の強制徴収を正当化することはできない。リベラリズム以外の別の原理(功利主義の原理や国民国家などのメンバーシップの原理)から、経済が順調に成長している限り、弱者救済の正当化ができる」というものである。

経済成長しているときのみ、弱者救済のための税の徴収を正当化できる。にもかかわらず、リベラリストはいついかなるときも「税を徴収して、弱者救済に分配しろ!」と主張する。経済が停滞している現在のときにも、リベラリストがそのようなことを主張する。さらに不正な生活保護者などが明らかになったとき、「不正な生活保護者を認めるな」と主張する人たちをリベラリストは「弱者叩き」であると非難する。そのようなリベラリストの態度に、多くの人たちは不信感を抱くようになる。「ただでさえ金もないのに、どうして正当な人にお金(権利)が分配されず、不正な人が享受するんだ。これを批判するのは当然なはずだ。にもかかわらず、リベラリストは不正な連中を擁護して、反対に批判者を差別主義だと非難する。一体リベラリストとはなんなんだ?」と。萱野は「財源がない限りリベラリズムは弱者を救済できない」ということに無自覚なリベラリストを批判する。

総じて、第2章で示されているリベラリズムの「限界」とは「リベラリズムの原理はそれ自体で弱者救済のための税の徴収を正当化できず、リベラリズム以外の別の原理でしか正当化できない」ということである。


以上が本書の内容のまとめである。
本書も『死刑 その哲学的考察』と同様、萱野による政治哲学の入門書である。内容も「リベラリズム」というホットなテーマである。今回も議論は冴えていて、おもしろかった。「おお、まさかYahooニュースのコメントを引用して、それを使って議論しているぞ!」と。もちろん注目すべき主張もあった。お勧めの本である。だが、個人的には途中、スキップするほどの退屈な箇所もあり、前著『死刑』ほどの興奮はなかった。



さて、ここからは本書から刺激を受けて、評者が考えたことである。それは...

(未完)


僕から以上

立ち読み書評#4: 黒川伊保子『女の機嫌の直し方』

立ち読み書評第四弾。
今回は黒川伊保子さんの『女の機嫌の直し方』です。

書評というよりも今回は書評を借りた愚痴です。


本書は男性脳と女性脳の違いを指摘して、「女性脳にはこのように対処すればよい」というのをエッセイの形で述べられています。
ここで「エッセイの形で」というのは、ダラダラと話題があっち行ったりこっち行ったりしていることを言います。話題が脱線します。
p.120(またはp.140だったかもしれません)に、「女性の話題はとかく脱線しがち。ダラダラと話を行ったり来たりする」というような箇所を見て爆笑しました。「お前のこの本もまさしくダラダラと書いて、話題もあっちこっち行っているじゃないか!! 自身が体現しているじゃないか!!」と。

それに書き方もかなりフランクです。話し言葉に近く、いい意味では「親しみやすい書き方」ですが、悪い意味では「『ですます』でも『である』でもない統一性のないひどい書き方」です。この文章には人の好みがあるかと思います。そこは1つ注意してください。

女性脳はとにかく「共感」が大切だそうです。悩み相談をされたとき、「解決方法」は二の次だそうです。あと「結果」よりも「過程」を重要視するとのことです。男性脳はその逆で、悩み相談をされたら「共感」よりも「解決方法」を提示してほしいし、「過程」よりも「結果」が重要視されるそうです。

男性脳と女性脳の違いを理解した上で、「どのように対処すればいいのか」という具体例が書かれています。例えば、妻が「腰が痛い」と言ったときは、「病院に行ったのか?」と解決策を言うのではなく、「腰が痛いの? それは大変だ」と共感の言葉を与えることがいいといった具合です。


黒川さんは最近メディアに出てきた人だと思っていたので、本を読んだのですが、実はかなり前(20年ぐらい前)から著作を書いていたそうです。そういう著者の個人史を知れたことはよかったと思います。


以下愚痴:
男性が女性に謝るとき、「君がそこまで辛かったなんて気づかずにごめんね」と言えと書かれていた箇所がありました。「そんなに大変だってことに気づかずに」というワードは女性にとっては重要だそうです。その箇所を読んだとき、「会社を辞めたい」と私が上司に相談したとき、上司が「君(評者)が、そんな大変なことを思っていたなんて、それに気づかずにごめんね」と言われたことを思い出しました。
こっちが「気づいて」アピールをしなかったので、こちらが悪いにもかかわらず、「気づかずにごめん」と言われたとき、(私はもちろん男ですが)、なんだか少しほっとした気持ちを抱いたことを思い出しました。女性もそんな感じで気づいてほしいのかなと思いました。

たいして、父親に「会社を辞めたい」ことを相談したときに、共感も解決策も提示せずに議論されたときはさすがに腹が立ちました。

****

私「深夜のコンビニで週6で働くフリーターのおじさんを見てこう思ったよ。『これからも毎日飯を食うために働いて、何の生きがいもなくただただ生きなければならないなんて、なんて惨めだな』と。そういうふうにはなりたくないと思ったよ。」

父「わからないよ。その人も実は掛け持ちで働いているかもしれないじゃないか? 何か目的があって、そのためにダブルワークしているのではないか?」

私(.....知るかよ、そんなこと。俺はお前と議論したくて言っているんじゃないよ。しかもそんな不可知なことで反論されてもさ。これ以上何も言えないじゃないか。)

私「かと言って大企業に働けばいいのか。確かに社会的地位や収入はいいかもしれないよ。けど、そこの課長さんを見て、こう思ったよ。課長さんは俺より早くに出社して、俺より遅くまで仕事している。たとえ大企業で安定した収入が得られたとしても、そこまで働き続けることが本当に幸せなことなのか。彼もフリーターと同じく惨めではないかと。そう思ったら、今の会社で働きたくなくなってきた。」

父「いや。本当にその課長さんは仕事が好きなのかもしれないね。一日中働きたいかもしれないよ。それに家庭に居づらいから、仕事しているのかもしれないよ。」

私(........だからさ....今はお前と議論したいんじゃないんだよ。一言「そうかもしれないな」と共感してほしいだけなのにさ....)

私「もういいよ。お父さんには何も相談しないよ。言っても無駄だし。」

父「言わないなんて卑怯だぞ!!! (キレる) 言えよ!! 父さんに話せよ!!!」

私(........だったら一言でもいいから共感しろよ、クソが!!! 俺は一体どうすればいいんだよ!!!)

*******

計り知れないほどの無能な父親と接したので、その翌日に上司に相談して、上司が共感してそれから対応策を提示したりしたのは雲泥の差がありました。

会社を辞めるような大きな悩みのときは、男も女も関係なく「共感」してほしいと思いますが、女性は常に「共感」されたいのだろうなと思いました。
そして、少しでも「共感」できる人になれればいいなと思います。少なくとも父親よりは。



僕から以上

Pythonでベクトル場を描写する方法

概要:
力学系を勉強するときに、{xy-}平面上にベクトル場(vector fields)を書いて、微分方程式の解を求めるときがある。このときにPythonのmatplotlibを使って、ベクトル場を書く。

{x^{''} = -x} のベクトル場
Input:

# Vector fields of the differential equation x'' = -x
import matplotlib.pyplot as plt
import numpy as np
plt.figure()
(LX, LY) = (5, 5)
gridwidth=0.4
X, Y= np.meshgrid(np.arange(-LX, LX, gridwidth), np.arange(-LY, LY,gridwidth)) 

R = np.sqrt(X**2+Y**2)

X1,Y1=0,0 
R1=np.sqrt(X**2+Y**2)
plt.plot(X1,Y1,'o',color='blue')

#Vector fields F(X, Y) = (U(X, Y), V(X, Y) ) = (Y/R1, -X/R1)
U = Y/R1
V = -X/R1


plt.quiver(X,Y,U,V,color='black',angles='xy',scale_units='xy', scale=4.5)

plt.xlim([-LX,LX])
plt.ylim([-LY,LY])

# graph
plt.grid()
plt.draw()
plt.show()

Output:
f:id:yoheiwatanabe0606:20191104032306p:plain


{x^{''} = -x} の解曲線
Input:

# Stream plots of the differential equation x'' = -x
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
w = 5
Y, X = np.mgrid[-w:w:100j, -w:w:100j]

#Vector fields F(X, Y) = (U(X, Y), V(X, Y) ) = (Y, -X)
U = Y
V = -X

#the fixed point at origin
seed_points = np.array([[0], [0]])
plt.plot(seed_points[0], seed_points[1], 'bo')

#graph
plt.streamplot(X, Y, U, V)
plt.show()

Output:
f:id:yoheiwatanabe0606:20191104033356p:plain

  • 参考文献
続きを読む

大企業で働くこと。

大企業で働くメリットとデメリットをまとめる。
まだ、私は大企業で働いて、わずかである。例えば、「大企業で働く人たちは優秀である」といったこともまだわからない。上っ面の薄い印象しかない。
それでも誰かに役に立ってくれたら嬉しい。

今月もギリギリ何かを書く。

メリット

  • 社内食堂がある。
  • 駅近。駅から直通に会社がある。

大企業には社内に食堂があったり、売店がある。外に行って昼食を食べずにも食堂で済ますことができる。さらに社食は比較的安い。これは嬉しいところである。

さらに社内に売店がある。もっとも外にコンビニがあるので問題ないが、外に行かずにお菓子や飲み物を購入することができるのは便利である。

大企業は総じて駅の近くにある。さらには駅のエスカレーター直通の場合もある。
これが嬉しいのは雨などの悪天候のときである。普通は東京ならばどこかの駅の近くにあるだろうが、それでも駅から会社まで歩かなければならない。大雨のときは駅から会社までの距離で傘をささなければならないし、その間に濡れる場合もある。これは意外に嫌なことである。
たいして、大企業ならば駅から直通であるため、一度駅に着けば濡れずに済む。これはかなり嬉しいことである。

他にも「安定している」ことや「休みが確実である」ことなどがある。しかしそんなこと正直、どうでもいい。

デメリット

  • トイレ問題。

これが決定的な問題である。
大企業で働くことは、ワンフロア300人以上いるところで黙々と働くことである。
ここで男女比を考えてみよう。IT関係の職についている人は基本的に男性である。
ということは、250人ぐらいが男性である。
この大人数の中で働くのである。それではこのフロアのトイレを考えてみよう。
個数は1個ということはありえないが、何個かついている。だが、たかだか数個である。それで間に合うと思うだろうか?
明らかに、足りないのである。ワンフロア250人以上いる男性の中で、常にトイレが支配されている。これは異常である。

小さな会社ならば、トイレは1個しかないだろう。だが、そもそも人が少ないので、トイレに行けば基本的に空いている。たまにトイレに来たときにすでに占領されていることもあるだろうけれども、待っている人は自分しかいない。トイレの行列は自分を含めて一人である。もしも全社員が25人だったとしても、人数とトイレの個数の比は25:1である。
たいして、大企業のトイレがワンフロアに10個ついているとしよう。そのときで、人数とトイレの個数の比は250:10 = 25:1である。だが、普通、トイレはそんなに多くついていない。50:1でもいいほうだろう。
大企業でのトイレを使おうと思うと、常に人が占領している。自分の前に人が並んでいることもある。
さらに、よりきついのは使用されてすぐのトイレを自分が使わなければならないことである。
トイレで待っているとする。しばらくして誰かが用をしてトイレから出てくる。このとき、自分がその空いたトイレに入る。だが、考えてみて欲しい。さきほどまで使われていたトイレを使わなければならないのである。不潔であるし臭いもするだろう。誰かが使ったトイレをすぐに使わなければならないのは不快である。公衆トイレにはたまに便座を清潔にする洗剤が付属されていて、汚ければそれを使用してトイレを清潔にすることができる。だが、大企業のトイレにはそのようなものはついていない。

このトイレ問題はさらにある。それは無駄な時間の消費である。
もしもほとんど常にトイレが使用されていることを経験するとしよう。そうすれば、人はお腹が痛くなくても、早めにトイレに向かうであろう。普通は、お腹が痛くなってからトイレに向かうだろうが、そうしなくなる。少しでも痛くなれば、漏れる前にトイレに行くだろう。人が占拠している可能性があり、待たなければならないからである。

そうなるとトイレの待ち時間という無駄な時間ができる。もしもトイレが空いていて、すぐに使用できたとしても、今度はそれほどお腹が痛くないから何度も踏ん張らなければならなくなり、結局、トイレの占拠時間は長くなる。いずれにせよ、トイレにいる時間が自然と長くなるのである。

さらにトイレ時間にスマホを使い、時間を潰すこともある。待ち時間の間にスマホを使うことは問題ないが、もしかしたら使用中にスマホを使う可能性もある。それで長時間トイレを占拠して、他の人に迷惑をかける可能性もある。

ーーこれがトイレ問題である。
とても深刻である。少しでも快適なトイレを使用したいのだが、大企業で働くとこの苦痛を避けることはできない。




僕から以上

立ち読み書評#3: 野村克也『超二流: 天才に勝つ一芸の極め方』

立ち読み書評第三弾。
今回は野村克也さんの『超二流: 天才に勝つ一芸の極め方』です。

ノムさんの本は今回が初めてでしたので、とても新鮮でした。いろいろな考え方が知れて面白かったです。ただ、二、三冊読めば、似たような箇所や同じネタに遭遇するのかなとも思っています。

本書は2年ほど前に出版されてものの再編集だそうです。

基本的にノムさんが野球ーー選手のときや監督のときーーを通じて学んだことが書かれている。

ノムさんは選手としても監督としても多大な業績を残しているが、実は野球エリート出身ではなく、相当の苦労人からのスタートであった。生まれが極貧であり、地元の無名の高校にしかいけなかった。テスト生としてなんとかプロになったものの、しばらくは一軍の試合にも出たことがなかった。そのため、どうすれば試合に出られるのか、出たらどうやれば相手を抑えられるのかといったことを常に考えていた。

そのような苦労や経験から得た考えをここに書かれている。
超二流になれば、時として一流にも勝つことができる」ーーそれが本書の言いたいことであり、超二流になるためのテクニックや考え方が本書の至る所で具体的な経験の例示とともに書かれている。


(まだ未完。けど追記するか不明)
僕から以上







僕から以上

就活であったこと。同じ意見でも正反対の反応された話。

こんなことツイッターに書けよと思われるかもしれないけど書く。


いくつかの会社で就活をした。そのとき同じ意見(質問)を言った。そのときあるときは肯定的に捉えられて、別のときは否定的に捉えられた。

会社から「何か質問ありますか」と言われたとき、私はいつも「将来、起業したいと思っているのですが、となるともし御社で就職しても、3年ぐらいで辞めるかもしれませんが、それでも構いませんか」と聞いた。
ある会社からは「俺は起業は大賛成だ。応援するよ。そういう起業したい人たちを応援したり、支援したり起業するための知識を与えたりしたい」ととても好意的に捉えられた。どうしてそこまで起業に対して積極的なのか聞いてみると、どうやら、その人は何回も転職した挙句、自分はどこかの会社の社員になることはできず、起業して社長になるしか生きる道はないと悟って、これまでにも何回も起業した人であった。だから、起業する人たちを積極的に支援するとのことであった。たとえ雇った人が将来、自分の会社を辞めたとしてもIT業界が発展すればそれでいいという考えであった。
別の会社からは「2, 3年で辞めると、はなから考えている人を雇う会社なんてあると思う?」と婉曲的に答えられた。要はその会社の人たちは私の起業したい考えを否定的に捉えられた。その会社は私を自社にそれほど貢献しない人とみなした。起業したい人よりも同じ会社で長く働く人を求めていたようだった。そちらのほうが自社をより発展させる可能性があるためである。

同じ意見でもここまで正反対の反応があるとは思わなかった。そのような経験ができたことはよかったと思う。

ただ、ある会社が例えば「起業肯定タイプ」なのか「起業否定タイプ」なのかを「起業したい」という質問をする前に、どのように判断すればいいのだろうか? 起業に対して否定的な反応をされた会社のとき、「起業したい」という質問をした瞬間に空気が一変して、その瞬間に「ああ、この会社は無理だな」とわかった。当然、その会社は不採用であった。もしも入りたい会社が「起業否定タイプ」であることがわかれば、「起業したい」という質問は封印して、「御社に尽くします」とアピールするだろう。しかし、どうやれば「起業したい」という質問をする前に、この会社(役員)がどういう人材を欲しているのかがわかるのだろうか? たとえ役員が「弊社はチャレンジ精神のある人材を欲しています」と言っていたとしても、だからと言って「起業したい人たち」を欲しているとは限らないからである。
まぁ、そういう感じです。



僕から以上