疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

数学・論理学・哲学・語学のことを書きたいと思います。どんなことでも何かコメントいただけるとうれしいです。特に、勉学のことで間違いなどあったらご指摘いただけると幸いです。 よろしくお願いします。くりぃむのラジオを聴くこととパワポケ2と日向坂46が人生の唯一の楽しみです。

読書メモ: レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』

基本情報

気になったこと

序文

  • 画家であったレヴィ=ストロースの父親は日本の版画を蒐集していた。レヴィ=ストロースは6歳から版画をもらっていて、テストでいい点数を取るたびに、父親の版画をもらっていた。さらに父親が持っていた版画がなくなってしまうと、お小遣いをためて版画を購入していた。(pp.7-8)

川田順造との対話

  • レヴィ=ストロースの父親は芸術家であって、浮世絵が好きだった。レヴィ=ストロース自身も父親からもらって以来、浮世絵に虜になった。子供の頃は学校でいい成績を取ると、父親が持っていた浮世絵を1枚ずつ褒美として差し上げていた。(p.132)

知られざる東京

  • 「過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡」(p.129)
日本を訪れる外国人は、各自が自分の務めをよく果たそうとする熱意、
快活な善意が、その外来者の自国の社会的精神的風土と比べて、
日本の人々の大きな長所だと感じるのです。
日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けられるよう願わずにはいられません。
それは日本人自身のためだけに、ではありません。
人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです。

pp.128-129

世界における日本文化の位置

「世界神話における主要なテーマ」

1985年に、私は初めてイスラエルとキリスト教の聖地を訪れ、
ほぼ一年後に九州で、日本の最も古い神話の始原にかかわる出来事があったとされている土地を訪れました。
私の文化と私の出自から言って、第一の場所の方が、二番目に訪れた土地より、私の心を捉えるのが当然であったはずです。
実際には、全く逆のことが起こりました。ニニギノミコトが天下った霧島の峰、
オオヒルメ、つまりアマテラス女神が閉じこもった洞窟に面した天岩戸神社は、
ダヴィデの神殿跡とされている場所や、ベツレヘムの洞窟や、
キリストの聖墓や、ラザロの墓よりも、深い感動を私のうちに惹き起こしました。

pp.16-17
なぜ、そうだったのでしょうか。
皆さまと私たちの、それぞれの伝統への対し方が著しく異なっているからだと、私には思われるのです。

p.17
  • 日本の大きな魅力の一つは西欧と違い、神話と歴史がつながっていることである。(pp.17-18)
私たち西洋人にとっては、一つの深淵が、神話と歴史を隔てています。
反対に、私が最も心を惹かれる日本の魅力の一つは、神話と歴史相互のあいだに、親密なつながりがあることです。

p.18
日本では書かれた歴史が比較的遅く始まったので、
日本人はごく自然に歴史を神話のなかに根づかせたのかもしれません。
神話から歴史への移行は巧妙になされています。
それがたやすくなされているため、これらの神話が日本人にもたらされた状況から、
一つの意図が存在したことがわかるのです。
それは、これらの神話を、厳密な意味での歴史の導入部にしようという、
編纂者たちの意図です。西洋にもむろん、神話はあります。
けれども西洋では、何世紀も前から、神話に属する領域と、歴史に帰すべき領域とを区別する努力をしてきました。
検証可能な出来事だけが、歴史として考察されるに値するというのです。
奇妙な逆説的な結果が、そこから生じています。
つまり、もし伝承に遺されている出来事が実際にあったのだとすれば、
それが起こった場所も示されうるはずです。
ところがキリスト教の聖地の場合、伝えられている場所でそれらのことが実際に起こった証拠はどこにあるのでしょうか。
ローマ帝国のコンスタンティヌス一世の母ヘレナ皇太后が、四世紀初め、聖遺跡を確かめようとパレスチナに赴いたのは、
自分の信念に惑わされたからではなかったと、
どうして言いきれるでし[ここまでp.17][ここからp.18]ょうか。
そして数世紀後の十字軍も、同じ思い違いをしていなかったと言えるでしょうか。
考古学の進歩にもかかわらず、彼らの証言が聖遺跡を正当化する、
ほぼ全面的な根拠にされ続けています。遺跡を訪れる人が、
聖書の内容は信じているが客観的精神の持ち主であった場合、
キリスト教のエピソードは実際にあったことだと思っていても、
本当にその出来事がこの場所で起こったかどうかには疑問を抱くのです。

九州では、このようなことはまったく問題になりません。
人々はそこで、あっけらかんとして神話的空気に浸るのです。
歴史性は問題になりません。より正確に言えば、この状況(コンテキスト)では歴史性を問題にすることが適切ではないのです。
天から降臨したニニギノミコトを迎えた栄誉ある土地はここだと二つの場所が主張しても、差し支えないのです。
パレスチナでは、もともと歴史的出来事が起こったという証拠を持たない土地には、
神話で箔をつけることが求められます。
しかしそのためには、神話が自らを神話ではないと主張しなくてはなりません。
つまり出来事が「本当に」そこで起こった場所だと、訴えなくてはならないのです。
しかしそれを証明するものは何もありません。
反対に九州では、比類のない見事な風景が、神話群を豊かにし、美化し、目に見える具体的なものに仕立てるのです。

pp.17-18
  • 日本の特異性。
この人たち[引用者注: 神聖な旧跡を訪ねる人たち]は、
偉大な国造りの神話や壮大な風景が、伝説的な時代と現代の感受性のあいだに、
現実的な連続性を保っているさまをあらためて確認しようとしているのです。

この連続性は、日本を訪れた初期のヨーロッパ人たちに、
衝撃を与えずにはおきませんでした。

pp.18-19
  • ジャン=ジャック・ルソーの不可思議な注「...特に日本」
ジャン=ジャック・ルソーは、1755年に公にされた『人間不平等起源論』の注の一つで、
まだまったく知られていないか、あまりにわずかしか知られていない諸文化を挙げ、
現地に行って研究することが緊急に必要であろうと述べています。
北半球では彼は十五ほどの国を挙げ、その概観を次の言葉で締めくくっています。
「......そして、特に日本」。なぜ、「特に」なのでしょうか?

p.19

川田順造との対話

  • 日本が世界に示せることはその独自性である。(p.147)
言うまでもなく、日本は多くの影響を受けてきました。
とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響です。
けれども、日本が私に驚異的に思われるのは、日本はそれらを極めてよく同化したために、そこから別のものを作り出したことです。
さらに、私が何としても忘れたくないもう一つの面は、これらのどの影響も受ける前に、
あなたがたは縄文文明という一つの文明をもっていたことです。
縄文文明は、人類における最古の土器を創り出しただけでなく、
それが極めて独創的な感覚によるものなので、世界のどこでもこれに比肩しうる、
いかなる種類の土器も見出すことができないのです。
縄文文明と比較できるものは、皆無です。
ですからそこに、根元での日本の特殊性の証があると、私は言いたいのです。
さらに、この日本の特殊性は、他所(よそ)から受け入れた要素を洗練し、
それをつねに何かしら独自のものにしてゆく力を具えていたのです。

ご存知のように、私たちは長い間日本から、倣うべき手本とみなされてきました。
日本の若者たちが、西洋を破滅させた悲劇的出来事と、
西洋を現在引き裂いている危機を前にして、「最早、手本はない。
我々は見習うべき手本を持たず、我々独自の手本を創り出してゆくのは、
まさに我々なのだ」と言うのを、私はしばしば聞いています。
私が日本に願いうること、そして期待しうることのすべては、
この手本(それは事実、西洋以外の世界にこれほど受け容れられてきました)に対して、
日本人が過去に示したのと同じ独自性を保ちうることです。
この独創性によって、日本人は私たちを豊かにしてくれることができるのです。

p.147

月の隠れた面

  • レヴィ=ストロースは米寿を記念に次男のマティユーから日本製の電気炊飯器をもらい、以後満100歳で亡くなる直前まで、日本式ご飯と訳者の川田が送っていた日本製の焼き海苔が大好物であった。食卓に欠かせなかった。水から炊く日本式のご飯。(p.59)(cf. p.150)

川田順造との対話

  • 東京の佃島に暮らしてみたいと奥さんに言った。慎ましい庶民街に暮らしたい。(p.138)
  • 同上: ブラジルにいたとき生のウジ虫を食べた(p.139)

感想

レヴィ=ストロースと日本の関係を知れてとてもよかった。

レヴィ=ストロースは幼少から日本に接していて、日本に憧憬していた。元来日本ファンだったことを知った。今でいうマンガ好きのフランス人オタクだろうか。ご飯と焼き海苔を好物としていたというのも意外だったし、日本的な健康的な生活をしていたから長寿だったのだろうとも思った。「佃島に住みたい」とか「イスラエルよりも九州に感動した」とかも言っていて、おもしろいなと思った。また以前どこかで「日本は歴史と神話の境界があいまいで、よくない。たいして西洋は歴史と神話の境界が明確でいい」と聞いたことがある。しかし、文化人類学者の視点からだと、むしろ日本のあいまいの方がよりよいとなるのがおもしろかった。

ということでレヴィ=ストロースは多少なりとも日本贔屓しているのだろう。しばしば注釈に「これは誤り」と説明がついている。しかしそれでも「日本の独自性」を強く肯定するレヴィ=ストロースに我々は勇気づけられる。同時に我々が「日本の独自性」を実践しなければならないと思った。




僕から以上

今年を振り返る

今年を一言で言うと「ChatGPT」だった。

ChatGPTの存在は1月中旬に知った(1月16日にChatGPTの資料を作成していた)。偶然海外のYouTube動画を観て知った。それまでOpenAIすら知らなかった。無料でAIを使えるので試してみたら、これまで考えていたAIとはまるで違う人間らしい反応をしたのでとても驚いた。

ChatGPTが本格的に話題になったのは3月ごろだと思う。このころからGPT4が登場して、これ以降ChatGPTは日常となった。ChatGPTに聞きながら、仕事を進めるようになった。芸能人のことや一般常識についてはGPT3.5でも4でもまだまだダメだが、プログラミングに関してはだいぶ有用である。だから毎日使っている。もはやChatGPTがない世界を思い浮かべるのは難しい。

世間も少しずつだがChatGPTを知るようになった。さらに「生成AI」や「プロンプトエンジニア」という言葉も知った。

これから日進月歩にAIは進歩する。それについていくのにも精一杯だが、どうなるのか楽しみである。




今年読んだ本

AI(人工知能)・BI(ベーシック・インカム)・DDD(デジタル直接民主主義)を考えるために、それらの関連本を読んでいた。

途中まで

1.『誰のためのデザイン?』

  • 第4章の途中まで。ところどころ示唆に富む箇所があった。もう少し読みたい。

2.『オートメーションと労働の未来』

  • 少ししか読んでいない。退屈でつまらない。

3. 『人はなぜ物を欲しがるのか』ブルース・フッド, 小浜杳 Kindle

  • 進化論的に考察するのかと思っていたが、どうやらそうではなかった。途中で挫折した。

4. 『半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』クリス・ミラー, 千葉 敏生 Kindle

  • いい本であるが、途中でやめた。重要な本なので、再び読む。

5. 『SELFISHNESS(セルフィッシュネス) ―― 自分の価値を実現する』アイン・ランド, オブジェクティビズム研究会, 田村 洋一 Kindle

  • アインランドのことを理解したいので、読み始めたが、途中でやめた。また読む予定。

6. 『MMT 現代貨幣理論とは何か (講談社選書メチエ)』井上智Kindle

  • 薄い本でMMTについてコンパクトにまとまっているが、半分ぐらい読んでやめた。

7. 『果てしなき探求〈上・下〉―知的自伝 (岩波現代文庫)』カール・R・ポパー

  • 全部ちゃんと読んでおらず、ところどころ読み飛ばした。科学哲学のテーマがメインだったので、あまり有益ではなかった。もちろん初めて知ったこともあるが。

8. 『因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか (文春e-book)』 ジューディア・パール, ダナ・マッケンジー, 夏目 大, 松尾 豊・監修解説 Kindle

  • 6割から8割ぐらい読んだ。もともとパールは知っているが、興味深く読んでいた。「わかりやすく書いた」と本には書いてあったが、途中で挫折した。また読もうという気はない。

9. 『超予測力 不確実な時代の先を読む10カ条 (早川書房)』フィリップ E テトロック, ダン ガードナー, 土方 奈美 Kindle

  • しばしば引用される本。最初の方を読んだだけ。これから読む予定。


全て読み切った本

1. 『図解き論理的哲学史逍遥』山下正男

  • 山下先生の本。とても楽しかった。いつか改めてまとめる。

2. 『AI技術史 考える機械への道とディープラーニング impress top gearシリーズ』Michael Wooldridge, 神林 靖 Kindle

  • AIについて知れておもしろかった。

3. 『創造的破壊の力―資本主義を改革する22世紀の国富論』フィリップ・アギヨン, セリーヌ・アントニン, サイモン・ブネル, 村井 章子 Kindle

  • とても面白かった本。内容は難しかったが、たくさん要約があったりして読みやすいように配慮していてよかった。刺激的だったし、今年トップ3に入る本。

4. 『Remember記憶の科学』 リサ・ジェノヴァ, 小浜杳 Kindle

  • 癖のある文章であるが、次々ページをめくってしまう本だった。内容は記憶の(神経科学の)基本的な知識が書かれてある。

5. 『教養としてのAI講義 ビジネスパーソンも知っておくべき「人工知能」の基礎知識』メラニー・ミッチェル, 尼丁 千津子, 松原 仁 Kindle

  • 文字通り「教養として」AIについて議論されていた。数式はなかった(と思う)。広範囲な話題を議論していてとてもよかった。ビジネスパーソンならこのぐらい知っときゃなきゃダメ?

6. 『リベラリズムへの不満』フランシス・フクヤマ, 会田弘継 Kindle

  • 今回初めてフクヤマの本を読んだ。読みやすかった。内容はおもしろかった。覚えていないけど。

7. 『自由をいかに守るか ハイエクを読み直す (PHP新書)』渡部 昇一 Kindle

  • 面白かった。読みやすかった。

8. 『純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落 (日本経済新聞出版)』井上智Kindle

  • 分厚い本であるが、なんとか読んだ。後半の経済のほうは私にとって有益であったが、最初のAIの説明には疑問を呈する箇所が何箇所かあった。ドゥルーズガタリの「リゾーム」概念を用いて、「ディープラーニングリゾームだ」みたいなことが書かれていて、それを読んだとき疑問を抱かずにはいられなかった。

9. 『テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツパラドックス』カール・B・フレイ, 村井 章子, 大野 一 Kindle

  • 分厚くて読みづらかったが、それでもとてもおもしろかった。今年トップ3に入る本。

10. 『「現金給付」の経済学 反緊縮で日本はよみがえる (NHK出版新書)』井上 智洋 Kindle

  • 一応読んだが内容は覚えていない。

11. 『AI時代の新・ベーシックインカム論 (光文社新書)』井上 智洋 光文社 Kindle

12. 『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』リチャード・セイラー, キャス・サンスティーン, 遠藤 真美 Kindle

  • とても面白かった。今年トップ3に入る本。

13. 『啓蒙思想2.0〔新版〕 政治・経済・生活を正気に戻すために (ハヤカワ文庫NF)』

ジョセフ ヒース, 栗原 百代 Kindle

  • 面白かった。

14. 『多様性の科学』

  • Kindle Unlimitedに入っていたから読んだ。内容は普通。

15. 『失敗の科学』

  • Kindle Unlimitedに入っていたから読んだ。内容は普通。ただ著者がポパーに影響を受けたと書いていたところに少し目を引いた。実際に何箇所かにポパーを引用している。


来年もいろいろやってみたい。AI・BI・DDDだけでなく数学とか哲学とか。



僕から以上

AndroidからMacにデータを送る方法

概要

MacAndroidが通信ケーブルで接続されているとき、Android File TransferというアプリをMacにインストールすることで、AndroidからMacにデータを簡単に送ることができるようになる。

前提

STEP 1: Android File TransferをMacにダウンロードする

  • 許可を求められるので「Allow」を選択する。

  • AndroidFileTransfer.dmgがダウンロードされていることを確認する。

STEP 2: Android File TransferをApplicationsに移動する

  • AndroidFileTransfer.dmgを開くと次の画面が表示がされるので、ドラッグ&ドロップで「Android File Transfer」を「Applications」に移動させる。

STEP 3: Android File Transferを起動する

  • AndroidのUSB設定を「ファイル転送/Android Auto」に設定する。

  • Android File Transferを起動する。警告が表示されるが「Open」を選択する。

  • もしかしたら右上に次のウェジットが表示されるかもしれないが、特に問題はない。

  • ウェルカムページが表示されるので、「Get started」を押す。

  • うまくいけば次の画面が表示される。

  • これを使ってデータを移動させることができる。ドラッグ&ドロップを使って簡単にデータを移動させることができる。

トラブルシューティング

  • ケーブルでMacAndroidを接続しているが、うまくいかない場合。次のようなエラーが表示される。

  • この場合、ケーブルを一度抜いてから、USB設定を「ファイル転送/Android Auto」にし直したり、Androidを再起動したりするとうまくいく(場合がある)。

おわりに

スマホアプリを開発するとき、Macで開発してAndroidの実機で確認することが多い。iPhoneでの確認ももちろんするが、iOSのビルドはAndroidより時間がかかったりする。開発は基本的にAndroidで確認して、最後にiPhoneで確認するようにしている。しかしAndroidのデータ(スマホアプリのスクリーンショット)をMacに送るのが面倒であった。たいしてiPhoneならばAirDropを使ってすぐにデータを送ることができる。今回、Android File Transferを使えば、AndroidでもすぐにMacにデータを送ることができるようになるのでとても便利になるだろう。ただしちゃんと接続がうまくいけばの話だが。




僕から以上

macOS 14 Sonomaのテキストカーソルに入力言語を示すインジケータが表示されてウザい件

macOSを14にアップデートしたら、クソ機能が追加されていた。 「かな」に変更したり、「英数」に変更されるとアイコンが表示されるようになった。

「英数」を押したとき

「かな」を押したとき

「Caps」を押したとき

めっちゃうっとうしい機能を非表示にしたいが、どうやら現在のところこれは非表示にできないらしい。

うっとうしいと多くのユーザも言っているようだが、一部には肯定的な意見もあった。いや最悪だろ!

書評: リチャード・ドーキンス: 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』

一言書評

読みづらいこの上ない極めて読者に不親切な退屈な本

概要

18世紀の神学者ウィリアム・ペイリーは『自然神学』で神の存在証明を試みた。それはいわゆる「デザイン論からの証明」である。それは次のようなものである。すなわち、もし荒野に精密な時計が落ちていれば、それをデザインして作った時計職人がいるに違いないと考えるだろう。同様にこの世界には極めて多様な生物が存在して、さらにそれぞれはあまりにも美しく精密に作られている。よって、それらを作ったデザイナーが存在するに違いない。

著者のドーキンスは「いかにしてこのような精密な生命が誕生したのか」という謎を解き明かす。それは自然淘汰という盲目の時計職人であると。

自然淘汰はランダムな突然変異と非ランダムな累積淘汰であり、それが何百億年との地質学的時間スケールによって、多種多様な生物が誕生したのである。

本書はまたダーウィン主義以外の他の説-断続平衡説・ラマルク主義・中立説など-も検討して批判する。

各章のまとめ

まえがき

ところが、「アインシュタイン主義」とは違って、ダーウィン主義は、どんなに無知な批判者からも格好の餌食だとみなされているようだ。
思うに、ダーウィン主義が抱えている一つの厄介な事情は、ジャック・モノーが鋭く指摘したように、誰もが自分はダーウィン主義を理解していると*思い込んでいる*ことである。
たしかにそれはまったく単純な理論であり、たいていの物理学や数学の理論に比べると、まるで幼稚だとさえ思われかねない。
ダーウィン主義とは、要するに、そこに遺伝的変異があって、しかもでたらめではない繁殖のもたらす結果が累積される時間がありさえすれば、途方もない結果が生まれる、という考えにすぎない。

p.10

第1章 とても起こりそうもないことを説明する

  • 18世紀の神学者ウィリアム・ペイリー『自然神学 あるいは自然界の外貌より蒐集せられし、神の存在と特性についての証拠』で提起されている「デザイン論」の概要。
  • 複雑さの定義
  • 「説明」とは何か
  • 次の3つの引用(孫引き)はペイリー『自然神学』のものである。
ヒースの荒野を歩いているとき、*石*に足をぶつけて、その石はどうしてそこにあることになったのかと尋ねられたとしよう。
私はおそらくこう答えるだろう。それはずっと以前からそこに転がっていたとしか考えようがない、と。この答えが誤っていることを立証するのは、そうたやすくはあるまい。
ところが、時計が一個落ちているのを見つけて、その時計がどうしてそんなところにあるのか尋ねられたとすると、こんどは石について答えたように、よく知らないがおそらくその時計はずっとそこにあったのだろう、などという答えはまず思いつかないだろう。

p.23
その時計には製作者がいたはずである。
つまり、いつかどこかに、(それが実際にかなえられていることがわれわれにもわかる)ある目的をもって時計を作った、つまり時計の作り方を知り、使い方を予定した考案者(たち)が存在したにちがいない。

p.23
時計にみられるあらゆる工夫、あらゆるデザイン表現が自然の作品にも見いだせる。
ただ、自然の作品は、測り知れないほど偉大で豊富である点が時計と異なっている。

p.24
  • だがこの議論は完全に間違っているドーキンスは言う。
ペイリーの議論には熱意のこもった誠実さがあり、当時の最良の生物学的知識がこめられている。にもかかわらず、それは間違っている。みごとなまでに完全に間違っている。
望遠鏡と眼、時計と生きている生物体とのアナロジーは誤りである。見かけとはまったく反して、自然界の唯一の時計職人はきわけて特別なはたらき方ではあるものの、盲目の物理的な諸力なのだ。本物の時計職人の方は先の見通をもっている。
心の内なる眼で将来の目的を見すえて歯車やバネをデザインし、それらを相互にどう組み合わせるかを思い描く。
ところが、あらゆる生命がなぜ存在するか、それがなぜ見かけ上目的をもっているように見えるかを説明するものとして、ダーウィンが発見しいまや周知の自然淘汰は、盲目の、意識をもたない自動的過程であり、何の目的ももっていないのだ。
自然淘汰には心もなければ心の内なる眼もありはしない。将来計画もなければ、視野も、見通しも、展望も何もない。
もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら、それは盲目の時計職人なのだ。

p.24-p.25

第2章 すばらしいデザイン

第3章 小さな変化を累積する

  • 自然淘汰のキーワードは少しずつ変化するということ(累積淘汰)。
  • コンピュータシミュレーションによる擬似的な自然淘汰の説明。
  • 何世代にも渡り、少しずつ変化することによって、当初想像もできなかったものを進化することができることをコンピュータシミュレーションで説明する。

第4章 動物空間を駆け抜ける

  • 実際の生物に累積淘汰を適用して、進化を説明する。

  • ドーキンスは「ある反例が実際に見つかるならばダーウィン主義を放棄する」と言う。

125年経って、われわれはダーウィンが知っていた以上に動物や植物について多くのことを知っているが、数多くのひきつづいて生じた軽微な修正によって形成されたとは考えられない複雑な器官など、私はいまだに一例とも知らない。
そんな例が今後見つかるだろうとも私は思わない。もしそんな例があればーそれは*ほんとうに*複雑な器官でなければならないし、後の章でみるように、「軽微な」という言葉の微妙な意味を理解していなければならないがー私はダーウィン主義を信奉するのをやめるだろう。

p.159

第5章 力と公文書

  • コンピュータの仕組みとDNAの仕組みの類似性を議論する。
  • 特にコンピュータの電子的記憶であるROMとRAMの話をする。

第6章 起源と奇跡

  • 一度、複製・誤り・力が現れれば、累積淘汰が自動的に意図的でなく生じる。それがどのようにして地球上に生じたのだろうか?
  • 生命の起源を議論する場合、どのぐらいの奇跡ならば偶然として認めることができるのか?

第7章 建設的な進化

  • 「淘汰は奇形(フリーク)を排除するような否定的/消極的な効果があるが、それ以外はない。」そのような主張に反論する。
  • 淘汰には積極的な効果がある。主に2つあり、ひとつは「共適応した遺伝子型」であり、いまひとつは「軍拡競争」である。

第8章 爆発と螺旋

  • フィードバック機構について議論されている。特にここでは正のフィードバックについて議論されている。
  • またアナロジーについても議論されている。
  • 性淘汰は正のフィードバックである。
  • サブカルチャーの「ポップ」カルチャーも正のフィードバックである。
  • だが、ある程度のアナロジーがあるが、完全に一致するものではない。

第9章 区切り説に見切りをつける

  • 断続平衡説(Punctuated equilibrium)の批判。章題は原文ではPuncturing punctuationismである。
  • 古生物学は進化論において重要である。
  • 化石の存在によって進化論を反証されることがあるので、「進化論は反証不可能である」というのは誤りであるとドーキンスは主張する。
とはいえ、たとえ化石化の割合がどんなに小さくても、進化学者なら誰でも正しいと考えるほど確かに予測できることが、化石記録についてはいくらかある。
たとえば、哺乳類が進化したと考えられているよりも以前の時代の記録に化石人類でも発見したりしたら、われわれはひどく驚くだろう! もし一つでもちゃんと確認できる哺乳類の頭骨が五億年前の岩石のなかから出てくれば、現代の進化論はまるごとすっかり崩れてしまう。
ついでに言うと、これは、進化論は「反証不可能」な同義反復にすぎないという創造論者とその仲間のジャーナリストによって広められている妄言に対する十分な答えになっている。

p.359
いま、大声ではっきりと言う必要があるのは、区切り平衡説はネオダーウィン主義の枠組みの中にしっかり収まるという真実である。

p.402

第10章 真実の生命の樹はひとつ

  • 分類学の話
  • 変形分岐論者への批判。

第11章 ライバルたちの末路

Notes

  • 「読者」を「彼」と想定してる。フェミニストの「彼または彼女」と書くべきだとの要求に辟易している。
何人っかの女性の友人が(幸いにも多くはないが)、非人称男性代名詞を使うのはあたかも女性たちを排斥する意図を示しているに等しいとみなしているのに気がついて、私は傷心にたえない。
もし何らかの排斥がなされるべきだというなら(運よくその必要はないが)、私はむしろ男どもを排斥するつもりなのだが、あるとき試みに自分の抽象的な読者を「彼女」と呼んでみたところ、あるフェミニストが私のっことを恩着せがましくへつらっていると非難した。
「彼あるいは彼女」とか「彼のあるいは彼女の」とするべきなのだそうだ。
あなたが言葉について無頓着であるのなら、そうすることはたやすい。とはいえ、言葉について無頓着な人は、男性であろうと女性であろうと読者を得るにはふさわしくない。これ以来、私は英語代名詞の慣用へ戻ってしまった。
私は「読者」を指して、「彼」と呼ぶかもしれないが、フランス語を話す人々がテーブルを女性とみなしていないのと同じく、自分の読者を男性であるとは考えていない。

p.13
  • ダーウィンの存命中にも進化論は批判があり、特に遺伝学を知らなかったが故に問題だと考えられていた。ダーウィン以後にメンデルの再発見がされて、集団遺伝学が発展した。しかしそれを主導した科学者(フィッシャーなど)は皮肉なことの反ダーウィン主義であった。その後、ダーウィンの進化論に遺伝学が追加されて、整備されて、ネオ・ダーウィン主義となった。

  • 中立説の提唱で世界的に有名な木村資生(もとお)の英語についてドーキンスは次のように書いている。

この理論は長い歴史をもっているが、分子レベルの装いを施した現代版についてはとくに容易に理解できる。
それは偉大な日本の遺伝学者、木村資生によって長足の進歩を遂げてきた。
ついでに言っておけば、彼の英語の散文体は、英語を母国語とする多くの人々の顔色をなからしめるだろう。


p.478-p.479
This has a long history, but it is particularly easy to grasp in its modern, molecular guise in which it has been promoted largely by the great Japanese geneticist Motoo Kimura, whose English prose style, incidentally, would shame many a native speaker.

p.303

評者は日本語も英語もそして国語力が疎いので、ドーキンスが木村の英語を褒めているのか貶しているのかわからない...。たぶんドーキンスは木村を褒めていて、木村のあまりにも素晴らしい英語力にこちらがshame(恥ずかしくなる)ということなのだろう。気になってshameの意味を調べたらそのような使い方もあるらしい。

感想

評者は本書をすべて読んでいない。4章ぐらいまでは真面目に読んでいたが、途中から諦めて適当に読み始めた。章の最初と最後を読んだ。

ドーキンスの処女作である『利己的な遺伝子』もそうだが、ドーキンスの初期の著作は章立てのみでセクションはなく、チンタラチンタラ延々と書くスタイルである。それが辛くて仕方がなかった。その後書かれた後期の著作『神は妄想である』などはまだセクションがありわかりやすく書かれているのだが。

本書は名著なのかもしれないが、評者は生物学や進化論にそれほど興味を持っていないので、著者の長々とした文章に苦戦した。苦行であった。とりあえず読んだということでこの本はさっさと売り払おう。





僕から以上

書評: 山下正男著『図解き論理的哲学史逍遥 ポルフィリオスの樹にはじまる』

一言書評

ポルフィリオスの樹から見る哲学史入門

本日7月16日は山下正男先生の誕生日である。ということでブログ記事を作成した。

まだ内容はまとまっていない。鋭意作成中。

参考文献

書評: ポパー『果てしなき探求 知的自伝』

概要

20世紀の科学哲学者であるカール・ポパー(1902年 - 1994年)の自伝。知的自伝と称しているので、ポパー自身の思想的発展がメインーさらに社会哲学・社会哲学よりも本来の科学哲学の思想的発展ーとなっていて、プライベートなことはあまりない。

感想

この前のゴールデンウィーク(GW)中に『果てしなき探求』を購入して、GW中に読んでいた。しかし途中で飽きて止めてしまった。

本書を買う理由は次の疑問を持っていたからである。ポパーの『開かれた社会とその敵』にはいわゆる負の功利主義(Negative Utilitarianism)を議論していた1。それは通常の功利主義である「最大多数の最大幸福」ではなく、「最大多数の最小不幸」という原理である。つまり「戦争や飢饉や貧困などの不幸をできるだけ最小にするべきだ」という格率である。

しかしこの考え方を少し広げるといわゆる反出生主義(Antinatalism)2につながる。つまり「不幸をできるだけ減らすことが大事だが、それならばそもそも人類は生まれなければ不幸に遭うことはなくなるはずだ」と容易につながるだろう。

ポパーは20代に結婚したが、結婚するときに「子供を作らない」ことを決めた3

Popper married Josephine Anna Henninger (“Hennie”) in 1930, and she also served as his amanuensis until her death in 1985. At an early stage of their marriage they decided that they would never have children. 

ポパーはなぜ結婚したにも関わらずあえて子供を作らないように決めたのか? それはポパー自身に反出生主義の考えがあったからではないか? そう推測していた。

『開かれた社会とその敵』や『歴史主義の貧困』にはさまざまなアイディアがある。それらをどのように考えてきたのか気になった。


このような訳でポパーの自伝を読もうと決めた。

だが結局はあまり得られるものはなかった。夫人とのことはほとんど言及されていないし、言わずもがな「どうして子供を産まなかったのか」ということは一切書かれていなかった。また社会哲学や道徳哲学の話は少なかった。メインは本来の専門である科学哲学であった。有名なウィトゲンシュタインとの「火かき棒事件」も下巻に書かれていた。

しかしこれまで知らなかったことも書かれていた。特に本質主義の問題を「私の最初の哲学的失敗」と考えていたことである。


ポパーの信念や哲学がわかりやすく書かれているのでポパー入門書としていい本だと思う。

僕から以上


  1. 『開かれた社会とその敵 第一部』第9章
  2. 反出生主義とは「誕生は生まれてくる人にとって常に害であるとし、人類は生殖をやめて段階的に絶滅するべきだ」との考えである。
  3. https://plato.stanford.edu/entries/popper/