基本情報
- 『月の裏側 日本文化への視角』
- クロード・レヴィ=ストロース
- 川田順造 訳
- 中央公論新社
- 第6版
- 購入日: 2023/12/27
- 了読日: 2024/01/03
気になったこと
序文
- 画家であったレヴィ=ストロースの父親は日本の版画を蒐集していた。レヴィ=ストロースは6歳から版画をもらっていて、テストでいい点数を取るたびに、父親の版画をもらっていた。さらに父親が持っていた版画がなくなってしまうと、お小遣いをためて版画を購入していた。(pp.7-8)
川田順造との対話
- レヴィ=ストロースの父親は芸術家であって、浮世絵が好きだった。レヴィ=ストロース自身も父親からもらって以来、浮世絵に虜になった。子供の頃は学校でいい成績を取ると、父親が持っていた浮世絵を1枚ずつ褒美として差し上げていた。(p.132)
知られざる東京
- 「過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡」(p.129)
日本を訪れる外国人は、各自が自分の務めをよく果たそうとする熱意、 快活な善意が、その外来者の自国の社会的精神的風土と比べて、 日本の人々の大きな長所だと感じるのです。 日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けられるよう願わずにはいられません。 それは日本人自身のためだけに、ではありません。 人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです。 pp.128-129
世界における日本文化の位置
「世界神話における主要なテーマ」
1985年に、私は初めてイスラエルとキリスト教の聖地を訪れ、 ほぼ一年後に九州で、日本の最も古い神話の始原にかかわる出来事があったとされている土地を訪れました。 私の文化と私の出自から言って、第一の場所の方が、二番目に訪れた土地より、私の心を捉えるのが当然であったはずです。 実際には、全く逆のことが起こりました。ニニギノミコトが天下った霧島の峰、 オオヒルメ、つまりアマテラス女神が閉じこもった洞窟に面した天岩戸神社は、 ダヴィデの神殿跡とされている場所や、ベツレヘムの洞窟や、 キリストの聖墓や、ラザロの墓よりも、深い感動を私のうちに惹き起こしました。 pp.16-17
なぜ、そうだったのでしょうか。 皆さまと私たちの、それぞれの伝統への対し方が著しく異なっているからだと、私には思われるのです。 p.17
- 日本の大きな魅力の一つは西欧と違い、神話と歴史がつながっていることである。(pp.17-18)
私たち西洋人にとっては、一つの深淵が、神話と歴史を隔てています。 反対に、私が最も心を惹かれる日本の魅力の一つは、神話と歴史相互のあいだに、親密なつながりがあることです。 p.18
日本では書かれた歴史が比較的遅く始まったので、 日本人はごく自然に歴史を神話のなかに根づかせたのかもしれません。 神話から歴史への移行は巧妙になされています。 それがたやすくなされているため、これらの神話が日本人にもたらされた状況から、 一つの意図が存在したことがわかるのです。 それは、これらの神話を、厳密な意味での歴史の導入部にしようという、 編纂者たちの意図です。西洋にもむろん、神話はあります。 けれども西洋では、何世紀も前から、神話に属する領域と、歴史に帰すべき領域とを区別する努力をしてきました。 検証可能な出来事だけが、歴史として考察されるに値するというのです。 奇妙な逆説的な結果が、そこから生じています。 つまり、もし伝承に遺されている出来事が実際にあったのだとすれば、 それが起こった場所も示されうるはずです。 ところがキリスト教の聖地の場合、伝えられている場所でそれらのことが実際に起こった証拠はどこにあるのでしょうか。 ローマ帝国のコンスタンティヌス一世の母ヘレナ皇太后が、四世紀初め、聖遺跡を確かめようとパレスチナに赴いたのは、 自分の信念に惑わされたからではなかったと、 どうして言いきれるでし[ここまでp.17][ここからp.18]ょうか。 そして数世紀後の十字軍も、同じ思い違いをしていなかったと言えるでしょうか。 考古学の進歩にもかかわらず、彼らの証言が聖遺跡を正当化する、 ほぼ全面的な根拠にされ続けています。遺跡を訪れる人が、 聖書の内容は信じているが客観的精神の持ち主であった場合、 キリスト教のエピソードは実際にあったことだと思っていても、 本当にその出来事がこの場所で起こったかどうかには疑問を抱くのです。 九州では、このようなことはまったく問題になりません。 人々はそこで、あっけらかんとして神話的空気に浸るのです。 歴史性は問題になりません。より正確に言えば、この状況(コンテキスト)では歴史性を問題にすることが適切ではないのです。 天から降臨したニニギノミコトを迎えた栄誉ある土地はここだと二つの場所が主張しても、差し支えないのです。 パレスチナでは、もともと歴史的出来事が起こったという証拠を持たない土地には、 神話で箔をつけることが求められます。 しかしそのためには、神話が自らを神話ではないと主張しなくてはなりません。 つまり出来事が「本当に」そこで起こった場所だと、訴えなくてはならないのです。 しかしそれを証明するものは何もありません。 反対に九州では、比類のない見事な風景が、神話群を豊かにし、美化し、目に見える具体的なものに仕立てるのです。 pp.17-18
- 日本の特異性。
この人たち[引用者注: 神聖な旧跡を訪ねる人たち]は、 偉大な国造りの神話や壮大な風景が、伝説的な時代と現代の感受性のあいだに、 現実的な連続性を保っているさまをあらためて確認しようとしているのです。 この連続性は、日本を訪れた初期のヨーロッパ人たちに、 衝撃を与えずにはおきませんでした。 pp.18-19
- ジャン=ジャック・ルソーの不可思議な注「...特に日本」
ジャン=ジャック・ルソーは、1755年に公にされた『人間不平等起源論』の注の一つで、 まだまったく知られていないか、あまりにわずかしか知られていない諸文化を挙げ、 現地に行って研究することが緊急に必要であろうと述べています。 北半球では彼は十五ほどの国を挙げ、その概観を次の言葉で締めくくっています。 「......そして、特に日本」。なぜ、「特に」なのでしょうか? p.19
川田順造との対話
- 日本が世界に示せることはその独自性である。(p.147)
言うまでもなく、日本は多くの影響を受けてきました。 とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響です。 けれども、日本が私に驚異的に思われるのは、日本はそれらを極めてよく同化したために、そこから別のものを作り出したことです。 さらに、私が何としても忘れたくないもう一つの面は、これらのどの影響も受ける前に、 あなたがたは縄文文明という一つの文明をもっていたことです。 縄文文明は、人類における最古の土器を創り出しただけでなく、 それが極めて独創的な感覚によるものなので、世界のどこでもこれに比肩しうる、 いかなる種類の土器も見出すことができないのです。 縄文文明と比較できるものは、皆無です。 ですからそこに、根元での日本の特殊性の証があると、私は言いたいのです。 さらに、この日本の特殊性は、他所(よそ)から受け入れた要素を洗練し、 それをつねに何かしら独自のものにしてゆく力を具えていたのです。 ご存知のように、私たちは長い間日本から、倣うべき手本とみなされてきました。 日本の若者たちが、西洋を破滅させた悲劇的出来事と、 西洋を現在引き裂いている危機を前にして、「最早、手本はない。 我々は見習うべき手本を持たず、我々独自の手本を創り出してゆくのは、 まさに我々なのだ」と言うのを、私はしばしば聞いています。 私が日本に願いうること、そして期待しうることのすべては、 この手本(それは事実、西洋以外の世界にこれほど受け容れられてきました)に対して、 日本人が過去に示したのと同じ独自性を保ちうることです。 この独創性によって、日本人は私たちを豊かにしてくれることができるのです。 p.147
月の隠れた面
- レヴィ=ストロースは米寿を記念に次男のマティユーから日本製の電気炊飯器をもらい、以後満100歳で亡くなる直前まで、日本式ご飯と訳者の川田が送っていた日本製の焼き海苔が大好物であった。食卓に欠かせなかった。水から炊く日本式のご飯。(p.59)(cf. p.150)
川田順造との対話
- 東京の佃島に暮らしてみたいと奥さんに言った。慎ましい庶民街に暮らしたい。(p.138)
- 同上: ブラジルにいたとき生のウジ虫を食べた(p.139)
感想
レヴィ=ストロースと日本の関係を知れてとてもよかった。
レヴィ=ストロースは幼少から日本に接していて、日本に憧憬していた。元来日本ファンだったことを知った。今でいうマンガ好きのフランス人オタクだろうか。ご飯と焼き海苔を好物としていたというのも意外だったし、日本的な健康的な生活をしていたから長寿だったのだろうとも思った。「佃島に住みたい」とか「イスラエルよりも九州に感動した」とかも言っていて、おもしろいなと思った。また以前どこかで「日本は歴史と神話の境界があいまいで、よくない。たいして西洋は歴史と神話の境界が明確でいい」と聞いたことがある。しかし、文化人類学者の視点からだと、むしろ日本のあいまいの方がよりよいとなるのがおもしろかった。
ということでレヴィ=ストロースは多少なりとも日本贔屓しているのだろう。しばしば注釈に「これは誤り」と説明がついている。しかしそれでも「日本の独自性」を強く肯定するレヴィ=ストロースに我々は勇気づけられる。同時に我々が「日本の独自性」を実践しなければならないと思った。
僕から以上