疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

2016年9月から2017年6月までロシアのサンクトペテルブルク大学に遊学(私費留学)します。数学の哲学や論理学やHyper doctrineやHomotopy Type Theoryを学びに行きます。ロシアの生活から勉強についていろいろ書きたいと思います。どんなことでも何かコメントいただけるとうれしいです。特に、勉学のことで間違いなどあったらご指摘いただけると幸いです。 よろしくお願いします。くりぃむのラジオを聴くこととパワポケ2が人生の唯一の楽しみです。あと、ロシア人の悪口をボロクソに書きますので。

どんなロシア人も俺は信じない。

いままでだらだらと過ごしてきた。

自分に対する言い訳はいくらでも作ることができることを知った。

結局、性根はどこに行こうとも変わらないのだと知った。

 

 

たとえば、日本にいたときセミナーの準備はその前日かもしくは当日にしていた。明日やろう明日やろうと思ったら、結局直前までやらず、準備不足だからうまくいかない。その日は猛烈に後悔してもうこんなことはせず、毎日セミナーのための準備をしようと思っても、また翌日から別の好きなことをする。そうしていつも繰り返してきた。

人や場所が変わったら、自ずとこんな習慣も変わるだろうと思った。必要は努力の母だから。日本でのセミナーは日本語でするから、直前での勉強でも間に合うと思い自堕落が生じる。対して、こちらに行けばセミナーは英語でするから、必然的に毎日セミナーの勉強をするのだと。

 

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しかし、結局セミナーの準備は当日なんとかして、それ以外はだらだらと過ごしていた。結局、何も変わっていなかった。

 

 

今年の4月からロシア語の勉強をしている。こちらに来た後も週に2回ロシア語のレッスンを受けている。もちろん、宿題もレッスンの当日にささっとする、これも4月から今まで何も変わっていない。毎日ロシア語を勉強することがいいことなどあきらかなのに。

ロシア人と仲良くなっていないし、友達もまだ出来ていないし別に出来なくてもいいと思っている。なぜなら、俺は連中たちを端から信じていないから。

ロシアがどんなところかなんて行かなくてもなんとなくわかるし、それはいわゆるおそロシアだ。そんな連中を俺は信じていない、誰も。

俺はロシア語やロシアの文化や伝統などこれっぽっちも興味ない。せいぜい、美味しいロシア料理を満足するまでたらふく食うことぐらいしか興味がない。

 

 

おとといから毎日論文や論理学や数学を勉強している。難しい。けども楽しい。そして、やることが多すぎる。でもそれらをもっとしたいと思う。なぜなら俺はそれが興味あるから。

対して、ロシア語にはそんなやる気は生まれない。たとえ、単語の暗記や文法の勉強やリスニングの練習や発音の練習など、やることが多すぎても、思うことはただ1つ。めんどくさいしどうでもいいと思う。なぜなら俺はそれに興味がないから。

 

 

俺はなんのためにここへ来た?やるべきことをやりに来たはずだ。それは何か?まだ決まってはいない。だが、これだけは言える。

俺はロシアのことを学ぶためにここに来たのではないと。