疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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関手と自然変換で合成される射は再び自然変換であること

概要

関手と自然変換があたえられたとき、適当に定義すればその射はまた自然変換となる。

 

{F, G, H, J} をそれぞれ次のような関手とする。

{{\bf B}\overset{J}{\to}{\bf C}\overset{F}{\underset{G}{\rightrightarrows}}{\bf D}\overset{H}{\to}{{\bf E}}}

{\alpha: F\to G} を自然変換とする。

 

このとき、2通りの新しい自然変換を構成することができる。

 

(1) 

{HF, HG: {\bf C}\to {\bf E}} は関手である。これらの間にできる新しい射 {H\alpha: HF\to HG} を次のように定義する。

{{\bf C}} の各対象 {C} に対して、圏 {{\bf E}} の射

{(H\alpha)_C: HFC\to HGC}{(H\alpha)_C:= H(\alpha_C)}

と定義する。このとき、{H\alpha = ( (H\alpha)_C: HFC\to HGC )_{C\in\text{ob}({\bf C})}} は自然変換である。すなわち、圏 {{\bf C}} の任意の射 {f: C_1\to C_2} に対して、

{(H\alpha)_{C_2}\circ HF(f) = HG(f)\circ (H\alpha)_{C_1}}

が成り立つ。実際に、{\alpha: F\to G} が自然変換であるから、{f: C_1\to C_2} に対して、{\alpha_{C_2}\circ F(f) = G(f)\circ \alpha_{C_1}} である。{H: {\bf D}\to {\bf E}} が関手であるので、

{(H\alpha)_{C_2}\circ HF(f) = H(\alpha_{C_2})\circ HF(f)}

{= H(\alpha_{C_2}\circ F(f) ) = H(G(f)\circ \alpha_{C_1})}

{= HG(f)\circ H(\alpha_{C_1}) = HG(f)\circ (H\alpha)_{C_1}} 

である。

 

よって、新しい射 {H\alpha: HF\to HG} は自然変換である。

 

 

(2)

{FJ, GJ: {\bf B}\to {\bf D}} は関手である。これらの間の新たな射 {\alpha_{J}: FJ\to GJ} を次のように定義する。圏 {{\bf B}} の各対象 {B} に対して、射を

{(\alpha_J)_B:= \alpha_{JB}: FJB\to GJB}

と定義する。

このとき、{\alpha: F\to G} が自然変換であるので、{\alpha_J: FJ\to GJ} もまた自然変換であることは容易にわかる(あきらか)。

 

よって、新しい射 {\alpha_{J}: FJ\to GJ} は自然変換である。

 

 

自然変換 {F\overset{\alpha}{\to}G\overset{\beta}{\to}H} の合成 {\beta\cdot\alpha: F\to H} もまた自然変換であるので、次の射も自然変換である。

{F_1, F_2, G_1, G_2: {\bf C}\to{\bf C}} を自己関手とする。{\alpha: F_1\to F_2,\, \beta: G_1\to G_2} を自然変換とする。このとき、新しい射 {\alpha\otimes \beta: F_1G_1\to F_2 G_2}

{\alpha\otimes\beta:= \alpha_{G_2}\cdot F_1\beta = F_2\beta\cdot \alpha_{G_1}} と定義する(=は {\alpha} の自然変換の性質からわかる)。 

このとき、先ほどの関手と自然変換の合成が自然変換であることと、自然変換の合成が再び自然変換であることから、新しい射 {\alpha\otimes\beta: F_1G_1\to F_2G_2} もまた自然変換である。

 

 

僕から以上