疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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人物描像: 中戸川孝治北大名誉教授(2)----経歴

こんにちは。今回は中戸川先生の経歴の続きを書きます。前回の記事はこちらから。

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 中戸川先生は東京教育大学に入学されたとき、一人の先生に出会いました。その人の名は前原昭二先生です。中戸川先生いわく、「昭二」の名前の由来は昭和二年生まれだからだそうです。前原先生は戦後日本の論理学の泰斗の一人です。彼は多数の論理学の入門書を書いています。中戸川先生はもともと論理学には興味なかったのですが、ある日友達から前原先生の本を渡されて、「これを読みなよ」と勧められたそうです。そこで、その本を読んでみたら、論理学がおもしろくてそこから論理学にはまったそうです。要は先生が論理学を専攻したきっかけが前原先生の本だったのです。

 

論理学に興味を持ち、それから先生はそれだけでなく数学や哲学も学ばれたそうです。そして留学をしたいと思われました。当時論理学の最先端の一つであったカリフォルニアのバークレーに行くことを決め、推薦文を前原先生に書いてもらいおうと頼みました。

 

前原先生に推薦文を書いてもらうために、先生は彼の前で論理学の発表をしたそうです。先生がすべてを話された後、前原先生は開口一番に「君が最初に提示した定義間違っているよ」と指摘されたそうです。しかし、結局、前原先生は先生のために推薦文を書き、先生は大学を卒業後アメリカのバークレーに留学しました。

 

先生が留学した前年までバークレーには、20世紀の論理学の大家であるタルスキーがいたそうです。しかし、先生がバークレーに来たときにはすでに彼は退官されていました。ただ、教員一覧のパネルにはタルスキーのがあったそうです。

 

バークレーでの4年間は先生にとってとても貴重でした。タルスキーには直接教授を受けることはありませんでしたが、それでも他の有名な哲学者や論理学者(誰だかは忘れました)からさまざまなことを学んだそうです。最初の1年はただひたすらに英語を学んだそうです。その後に論理学を学んだとのことです。一年間一度も日本語を話さなかったという時期があったのことです。

 

また、現地の日本人研究者とも交流があったそうです。その一人は幾何学で有名な小林昭七先生です。中戸川先生いわく「昭七」の名前の由来は昭和七年生まれだからだそうです。先生は小林夫妻を車で送ったことがあるそうです。夫妻の住宅は山の方にあり、そこから街まで用事があったのことで、そのときに先生が運転されたとのことです。

 

バークレーにいたとき先生は論理学及び科学方法論小組(Barkley Group in Logic and Methodology of Sciences)のメンバーに選ばれました。それが、先生が名誉だと思うことの一つだそうです。

 

4年後、帰る直前になって、何か学位でも欲しいかと向こうの先生から言われたので、数学で修士を修めて日本に帰国されました。帰国後は筑波大学に行き博士をとりました。

 

88年(または89年)にエチェメンディ(Etchemendy)という著名な論理学者が来日されました。そのときに何か私にポストをくれと頼んだら、わかった探してみると承諾を得て、翌年(89年)にスタンフォードの客員(Visiting Scholar)として研究されました。その次の年(90年)の夏に北大の野本先生から電話が来て、彼は先生にこのように言ったそうです。

「海峡を渡る気はあるか?」

先生は二つ返事で「はい。」と答えて、翌年の4月(1991年4月)に助教授として北大に赴任されました。

 

つづく