疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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米田の補題(The Yoneda Lemma)について: 米田先生の追悼文

 今日は米田の補題で有名な米田先生の追悼文について紹介したいと思います。

 米田の補題そのものの解説やその応用も紹介したいと思いますが、まず初めに先生の人となり*1や定理の発見のエピソードを紹介したいと思います。

 

 

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写真は米田の補題についてのnlabにあったものを掲載。この追悼文はMac Laneの記事。 

nlabの米田の補題についての記事の参考文献(References)にはTom Leinsterによる米田の補題の解説があります。 こちら

 はじめに: 米田信夫(1930-1996)の追悼文について

米田先生の追悼文は日本の数学雑誌Mathematica Japonica, 47, No.1(1998), 155-156に掲載されています。

p.155には米田先生のお弟子さん*2である木下佳樹先生 (Yoshiki Kinoshita)*3が追悼文を投稿されていて、p.156にはマックレーン(Mac Lane)が----上の写真のように----投稿されています。

 Mac LaneはMathematica Japonicaの海外エディタとして長く活躍していたということもあって、しばしばこの雑誌に寄稿されていました。追悼文もその一つです。

 以下ではこの二つの追悼文をまとめて紹介したいと思います。引用する際、ページ数を示します。p.155ならば、木下先生ですし、p.156ならば、マックレーン先生です。

 

米田先生の最期(p.155)

米田先生は1996年4月21日(日)の12:21に心不全(heart failure)のため亡くなりました。66歳でした。この年の一月に急性膵炎(acute pancreatitis)で入院されましたが、帰らぬ人となられました。葬儀は4月24日(水)の正午に自宅で神道式で執り行われました。

 

米田先生の経歴: マックレーンに会うまで(p.155, p.156)

これ以降の話は木下先生が米田先生から聞いたもだから不正確なところがあるかもしれないと木下先生は断っています。それを踏まえた上で。

米田先生は1930年の3月28日にお生まれになりました。東京大学に進み数学を学び、学部の最後の年に彌永昌吉先生のセミナーに参加しました。そこで代数的位相幾何学(Algebraic Topology)に興味をもたれました。この時期にこの分野のトップであるアイレンバーグ(Samuel Eilenberg)先生が日本に来日されていて、米田先生はこのとき彼の通訳とガイドをするために彼とともに日本を旅行されていました。その後フルブライト奨学金(fulbright scholarship)を得て、アイレンバーグのもとで研究するためにプリンストンに行きました。

プリンストンに到着しましたが、遅かれ早かれアイレンバーグはフランスに移りました。ですので、先生はアイレンバーグの後を追うように翌年にフランスに行きました(94年か95年; p.156)。ここで、先生はマックレーンと出会うのです。

 

パリ北駅(Gare du Nord)のカフェで(p.155, p.156)

米田先生とマックレーン先生はパリで出会い、米田先生が乗る列車が出発するまで、先生はパリ北駅(Gare du Nord)のカフェでマックレーンにインタビューをしました。マックレーンはこのとき先生から何か学べないだろうかと期待(anxious)されていました。このインタビューでマックレーンはのちに「米田の補題」と言われる補題を学びました。

このパリ北駅でのマックレーンのインタビューを何度も米田先生は木下先生に話されましたので、おそらく先生にとってこのことは良い思い出かと思われます(p.155)。

 

その後(p.155)

先生の遊学は二年間続きました。帰国後は彌永先生のもとで博士論文を出されてコンピュータの道へ進みました。先生はAlgol68委員会のメンバーとしても有名です。米田先生は学習院大学東京大学の教授となり90年に退官なさり、その後東京電機大学の教授として亡くなるまでご活躍されていました。

 

最後に

調べたところ、実は米田の補題は当初から現在のような感じではなかったらしいです。現在につながる形で最初に提示されたのはグロタンディーク(Grothendieck)らしいです (こちら)。まだそのあたりは全然わかっていませんので、そのあたりもこれから勉強してわかったら記事にしたいと思います。

 

マックレーンは追悼文で簡単ながらに米田先生の功績を紹介しています。そして最後にこのように言って哀悼の意を表しています。

We mourn his recent death.

我々は彼の死を悼む。*4

 

 

これからは直接米田の補題について議論していきたいと思います。

僕から以上

*1:今回は米田先生の人となりは書きませんでした。 こちらの記事は先生の人となりについて少し書かれています。

*2:たぶんお弟子さんだと思います。確証はありませんが。調べた限りではわかりませんでした。

*3:木下先生の関連ページは こちら

*4:recentをどのようにうまく訳せばいいかわかりません。正直に言うと。「最近の死」でいいのかな。