疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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直観主義論理についての小話

毎日、ブログを書くのは難しいですね。早くもネタ切れです。ブロガーがすごい人なんだと初めて思いました。今回は中戸川先生とかつてやりとりしたことをここに書きます。

それは「直観主義論理の直感的理解について」です。

直観主義論理とは古典論理から「排中律(A or not Aは常に成り立つ)」を除いた論理体系です。それでは、どうしてこの論理体系が「直観主義」と言われるのかということを考えているときに、ある話を思いつきました。それを中戸川先生にどうですかと話しかけた内容をここで書きたいと思います。

 

私「先生、直観主義論理について考えたのですが、次の話が正しいのか間違っているのか、意見を伺いたいのですがよろしいでしょうか?」

中戸川先生「どうぞ。」

私「直観主義論理とは要は「排中律」を除いた論理体系ですよね。そしてそれは「背理法」が使えない体系というのと同値だと。そして排中律のある古典論理はいわゆる「神の論理」であり、対して直観主義論理はいわゆる「人間の論理」であると。そのことを次のようにして説明できないかと考えたんです。

まず、「美しい」という形容詞を考えて、「ブス」という形容詞を「美しくない」と定義します。そして、「あの子は美しくないがブスでもない。」という命題を考えてみます。

これはブスの定義から「あの子は美しくないが美しくないわけではない」つまり「あの子は not美しい and not not 美しい」であるとなるわけです。

ここで、もし古典論理ならば背理法(つまり、not not A ならば A)が認められているので、この命題は「あの子は美しいかつ美しくない」というふうになり、矛盾した命題となります。

他方で、我々人間はこの命題を矛盾したものとは見なさず、普通に言います。

したがって、以上より「直観主義論理は人間的である」....と。

いかがでしょうか?」

先生「おもしろいですね。確かに、直観主義論理ならばその命題は矛盾しているとは見なされませんね。ですが、それを矛盾していない命題として見なせる論理体系は他にもあります。」

 私「例えば?」

先生「例えば、「かつ(and)」のところを部分構造論理の「かつ」として解釈すれば矛盾とは考えられません。」

私「へぇ、そうなんですか。」

先生「つまりそれは亜jgかのhふぉあんlなおぐあふぁとぁghp.....」

私「??????」

先生「それだから、ふぁgなjgまびおあえがおbんmrじぇあbmh;ああ........」

私「この「美人」と「ブス」の話と同じように何かの議論で「賛成」と「反対」があったときに、「賛成しない」ということは「反対」を意味しないというのはありうるわけじゃないですか。」

先生「それとこれとは違いますね。それは「発話・宣言」に関する命題なので、先ほどの話とは同じではありません。それはサールがこのようなことをしましてね.....ペラペラペラ.....」

私「????...........とにかく!

つまりですね。この命題「あの子は美人でもなければブスでもない」というのは、要は「あの子は普通」ということを言っているってことですよ。だから、排中律が考えられている古典論理ではダメなんだということです。中間がないというか。」

先生「それなら例えば、「三値論理」なんかはどうでしょうか?「美人」と「普通」と「ブス」というふうに。そうしてもこの命題は矛盾したものとは見なされません。」

私「確かにそうですね。」

先生「しかし問題なのは否定の取り扱いです。「普通でない」というのをどのように解釈するのかという問題です。それを「美人」と考えるのかそれとも「ブス」と考えるのか。」

私「でも、普通、「あの子は普通ではない」っていうときは「あの子はブス」ってことを言っているんじゃないんですか?美人にはそんなことは言わずに「あの子は美人」って素直に言いますよ。」

 

 

 

直観主義論理について何か示唆が与えられれば嬉しいです。

僕から以上