疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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サボり記事: 談笑

今日はサボる。その代わりに1つ小話を。

 

ロシアにいたとき、私は毎日近くのスーパー(コンビニのような小さなところ)に行き、そこで働くおばさんと話していた。

話すと言っても、たいしたことは話していない。だが、おばさんはいつも私に「молодец(マラジェーツ)」と言った。それはだいたいこんな場面である。

 

おばさん「元気?」

私「元気です。あなたは。」

おばさん「私も元気」

私「今日、学校に行って、セミナーした。そのあとに、ご飯食べた。」

おばさん「молодец」

 

 

文脈からいうと、この「молодец」とは、「よくやった」といったような褒め言葉なのだろうと思った。実際に、調べてみるとそうだった。

 

ある日、先生に「フランスの選挙についてどう思いますか?」とフランス語とロシア語で言った。そのあとに、先生が「日本語ではどのように言うの?」と聞かれたので、紙に「フランスの選挙についてどう思いますか?」と書いた。

そのとき、先生はもちろん日本語やカタカナがわからないのだけれども、「フランスってFranceを意味しているの?」と当てた。

私は驚きそのとき思わず、「Да, молодец!」と言ってしまった。すると、なぜか変な空気が漂った。

 

あとから、ロシア語の先生に聞いてみたら、молодецとは、上の者が下の者へ言う言葉ということであった。例えば、親が子供に言ったり、上司が部下に言ったりするというものである。逆に、下の者が上の者に言っては失礼となるようなそのような言葉だったのである。だから、先生に向かって、молодецと言ったことが、不自然であったのである。日本語を学んでいる外国人の例でたとえるならば、いつも上司が仕事終わりにその人に向かって「ご苦労様」と言っているから、それを真似して、上司に「ご苦労様」と言ってしまうことである。上の者が下の者へ「ご苦労様」と言うことはあるけれども、その逆は失礼であるということである。下の者はそう言うのではなく「お疲れ様です」と言うことが正しい。

しかし、外国人は文脈から「仕事終わりに「ご苦労様」と言うものなのか」と判断するだろう。だから、それを真似ることは正当なことである。だが、その人は間違えを犯しているのである。その人は立場まで考慮していなかったのである。

 

 

学ぶとは真似ることである。それはそうなんだけれども一体どこまでを真似ればいいかと言うことは自明ではない。

文脈から、「молодецとは褒め言葉なんだ」とわかったとしても、だからと言って、いつも言っていいとは限らないということである。分脈プラス発話者の立場というのも考慮しなければならなかったのである。

はたして、分脈だけでなくそれ以外のこと(外在的な要因)も正しく類推することは可能なのであろうか? 外国人が「仕事終わりにいつも言っている」というパターンを見出したからといって、「それは自分が上司に言ってはならないことである」と認識することができるのだろうか? たぶん、「仕事終わりに言うものなのだろう。だから自分もそう言うことが正しいマナーなのだろう」と認識するに違いない。

 

パターン認識、つまり状況や文脈を理解してそれを抽象的に把握することは極めて難しいということである。

 

 

僕から以上