疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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圏・関手・自然変換の定義の裏話について

圏論において最も重要な概念は圏(category)と関手(functor)と自然変換(natural transformation)である。これらの関係は次のように言われる。

「圏は関手を定義するために定義され、関手は自然変換を定義するために定義された」

 

これは

アイレンバーグ・マックレーン(Eilenberg-Mac Lane)が最初に指摘したように、「圏」は「関手」を定義できるようにするために定義され、「関手」は「自然変換」を定義できるようにするために定義された。

Mac Lane, Categories for the working mathematician, 2nd, p. 18, abbriviated by CWM

強調は引用者

 

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しかし、CWMが出版される前の論文Categorical Algebraには次のように書かれている。

Freydが指摘したように、「圏」は「関手」を定義できるようにするために定義され、「関手」は「自然変換」を定義できるようにするために定義された。

 

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Mac Lane, Categorical Algebra

 

 

実際、FreydのAbelian Categoriesの序文に次のような言葉がある。

圏は関手を定義するために定義されたものであり、関手は自然変換を定義するために定義されたものである、と言っても少なくとも歴史的には誤りではない。

Freyd, Abelian Categories, p.1

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一体、誰が最初にこのスローガンを明示的に示したのか?

創始者であるEilenbergおよびMac Laneであろうか。もしかしたら、Freydの前に彼らがこのスローガンを明示的に指摘したのかもしれない。だが、Freydが初めて明示したのだろうか。暗示的には最初からEilenberg & Mac Laneはそう思っていたが、それを初めて明示したのがFreydなのか。

 

42年の論文にはFunctorのみしか記載されていない。

45年の論文に初めてCategory, Functor, Natural Transformationと記載されている。だが、このスローガンが記載されているかどうかはまだ知らない。

どうなんですかね。 どなたかご存知ならば教えてください。

 

 

 

僕から以上