概要: LawvereとSchauel共著のConceptual Mathematicsのsession 26には加法圏について議論されている。そこでは射の行列表示を定義して、Exercise 1(p.280)の問題はこの行列表示は普通の行列(線形代数で現れる行列)と同じように計算できることを示せというものである。この記事ではこれについて解説する。
要は加法圏においては線形代数のように行列表示をしてもいいということである。この事実は広く知られており、別の教科書にも書かれている。
我々はLawvereの本の通りの記号や定義で行わず、代わりに中岡『圏論の技法』pp.119-136で書かれている記号や定義で行う。
したがって、もしLawvereの本の通りに理解したいならばこの記事を参考に自分で修正されたし。時間があればCMをちゃんと読んでその通りに考えてみるが今回は省略する。
この記事では圏の定義を既知のものとする。知らなければ別の記事でも参照してほしい。
終対象・始対象・積・和
集合論においては様々な特別な集合が存在する。例えば、空集合 や直積(デカルト積)
などである。圏論においては特別な対象を、射の「普遍性」によって定義する。普遍性をちゃんと定義して説明することはせず、雰囲気で示したいと思う(illustrate)。
例えば、一点集合 について、これは次のように特徴づけることができる。すなわち、
一点集合
は任意の集合
に対して、ただ一つの写像
が存在する。
実際、一点集合 をコドメインとする任意の写像はただ一つ存在する。このような唯一性によって特別な集合を特徴づけることが可能となる。
圏論では特別な対象をまさにこのような射の唯一性(普遍性)によって定義するのである。
以上より、普遍性とは「これこれを満たすような射がただ一つ存在する」ということを言っているのである。
ちなみに、集合論において次の普遍性を満たすような集合 は存在するだろうか。 その普遍性とは任意の集合
に対して、ただ一つの射
を持つというものである。
実は、そのような集合は存在して、それは空集合 である。空集合をドメインとする写像というのはなかなか想像しにくいが、むしろ空集合からの写像はいつでもただ一つ存在しているものだと考えたほうがいい。
普遍性についてもう少し言いたいことがある。当たり前かもしれないが、もし一点集合 からある集合
への写像が2つ以上あったならば、それらは等しいということである。つまり、写像
が存在するならば、写像の唯一性により、
であることが導き出されるのである。このような考え方は極めて重要である。なぜなら普遍性を利用することは射の同等性を示すときの主要なテクニックであるからである*1。
集合論における一点集合 および空集合
にはそれぞれ先ほど示した普遍性の性質を満たす。この普遍性を満たす特別な対象を、一般の圏において定義しよう。それが終対象と始対象である。
定義 (終対象・始対象)
圏の対象
が終対象(terminal object)であるとは、
の任意の対象
に対して、射
がただ一つ存在することを満たす、そのような対象のことである。
双対的に、圏
の対象
が始対象(initial object)であるとは、
の任意の対象
に対して、射
がただ一つ存在することを満たす、そのような対象のことである。
さて、それでは上の例よりも少し複雑な例で考えてみよう。それが積と和である。
集合論におけるデカルト積 と 非交和(disjoint union)
をそれぞれ普遍性によって特徴づけると次のようになる。
集合論におけるデカルト積
を考える。ただし、
および
であり、これらはプロジェクション(射影)と言われる。このとき、デカルト積
は次のような性質を持つ。
任意の写像に対して、
かつ
となる写像
がただ一つ存在する*2。
集合論における非交和
を考える。ただし、
および
はインジェクションと言われる。このとき、非交和
は次のような性質を持つ。
任意の写像に対して、
かつ
となる写像
がただ一つ存在する。
実際、写像 を
で定義する。このとき、任意の要素
に対して、
であり、さらに
である。このような写像がただ一つしか存在しないことは以下のように示される。
2つの写像 が、
と
を満たすとする。このとき、
であることを示せばよい。任意の要素
に対して、
とすれば
、
であり、
である。つまり、任意の要素
に対して、
である。
同様に、集合論における非交和のときも示される。
この普遍性を用いて一般の圏において積・和を定義する。
定義 (積・和)
圏の対象
と
を考える。
と
の積(product)とは、対象
とプロジェクションと呼ばれる射
の組みであり、それが次の性質を満たすことである。
任意の射に対して、ある射
が
かつ
を満たし、そのような射がただ一つ存在する。
射を
と書こう。すなわち、
とする。ここで注意すべきは、このような書き方はLawvereの本(Conceptual Mathematics)とは違うということである。
双対的に、
と
の和(sum, coproduct)とは、圏
の対象
とインジェクションと呼ばれる射
の組みであり、それが次の性質を満たすことである。
任意の射に対して、ある射
が
かつ
を満たし、そのような射がただ一つ存在する。
射を
と書こう。すなわち、
とする。
次に加法圏を定義する。
加法圏
加法圏を定義するためには、(1) ゼロ対象(zero objects)、(2) ゼロ射(zero morphisms)、(3) プレ加法圏(preadditive categories)、(4) 複積 (biproducts) を定義しなければならない。それぞれ見ていこう。
ゼロ対象・ゼロ射
ゼロ対象とは終対象と始対象の両方の性質を持つ対象である。
定義 (ゼロ対象)
圏の対象
が終対象でありかつ始対象であるとき、
をゼロ対象(zero object)と言う。つまり、圏
の任意の対象
に対して、ただ一つの射
が存在する、そのような対象である。
ゼロ対象の簡単な例は、ベクトル空間の圏におけるゼロベクトル空間 である。つまり、
を体
のベクトル空間の圏とする*3。その対象は体
のベクトル空間
であり、その射は線形写像
である。このとき、圏
のゼロ対象は、ゼロベクトル空間
である。
ゼロ対象 を持つ圏
においては、ゼロ対象の性質から次の射を構成することができる。すなわち、任意の対象
に対して、
から
へのただ一つの射
を
で定義することができる。この射をゼロ射(zero morphism)と言う*4。
ゼロ射の唯一性により、ゼロ射には次のような性質がある。すなわち、任意の射 に対して、
が成り立つ。
煩雑を避けるため、普通ゼロ射を単に と書く。
プレ加法圏
複積とは大雑把に言えば、積と和の両方の性質を持つ対象のことである*5。複積はプレ加法圏で定義される。プレ加法圏とは射の集まり にアーベル群の構造が定義されているものである。正確には次のとおりである。
定義 (プレ加法圏)
圏がプレ加法圏(preadditive category)であるとは、次の2つの性質を満たす圏である。
(1) 任意の対象に対して、射の集まり
がアーベル群である。すなわち、任意の対象
に対して、
が次の4つの公理を満たすことである。ただし、
である。
i) 任意の射に対して、
![]()
が成り立つ(結合律)。ii) 任意の射
に対して、
が成り立つ(単位元の存在)。
iii) 任意の射
に対して、
が存在して、
が成り立つ(逆元の存在)。
iv) 任意の射
に対して、
が成り立つ(可換性)。
(2) 任意の対象
に対して、合成
は双線形である。
すなわち、に対して、
i)ii)
ここでいくつか注意しよう。
まず、アーベル群の単位元 についてである。通常、これは
とは書かずに、
と書かれる。さらに、単に
と書かれる。
ここで注意しなければならないのは、アーベル群の単位元 と先ほど定義したゼロ射
を混同してはならないということである。あくまでも別々であることに注意しよう。
プレ加法圏はゼロ対象を仮定していない*6。もちろん、同様にゼロ対象を持つ圏は、射の集合がアーベル群であることを仮定していない。
次に、通常アーベル群 の加法
を単に
として書く。慣れるまで大変かもしれないが煩雑を避けるために必要である。
次に、アーベル群の単位元 の性質について考えてみよう。これは(混同してはならないが)ゼロ射と同じ性質を満たす。すなわち、
に対して、
i)
ii)
が成り立つ。
これは以下のように証明される。ここでは i)のみを示す。ii)も同様に示される。
明らかに、 であり、
である。よって、双線形性より
である。つまり、
である。よって、両辺に
の逆元
を加え、アーベル群の性質を使うと、
を手にいれる。
ここで注意すべきは、この証明においてはアーベル群の性質と双線形性のみを利用しているということであり、ゼロ対象は仮定されていないと言うことである。
最後に再びゼロ射 とアーベル群の単位元
について述べよう。区別を明確にするためにゼロ射を
、アーベル群の単位元を
としよう。もちろん先ほども確認したように、これらは別々のものであるしこれらが定義されるためには、それぞれ圏の定義も異なる(前者はゼロ対象を持つ圏であり後者はプレ加法圏)。しかし、確認したようにゼロ射
も単位元
も同じ性質を持つ。ここで疑問なのは「ゼロ対象を持つプレ加法圏では、ゼロ射と単位元は一致するのか」ということである。またはどのような条件ならばこれらは一致するのか。それとも一致しないのだろうか。つまり、ゼロ対象を持つプレ加法圏ではゼロ対象から構成されたゼロ射
とアーベル群の単位元
が一致するのか
ということである。
これらは一致する。すなわち である。実際、任意の対象
に対して、一方でゼロ射
の性質から、
となり、他方で、単位元の性質から、
となる。したがって、 である*7。
複積
さて、プレ加法圏では射の合成 だけでなく、射の和(足し算)
を考えることができる。これによって、次の定理が示される。
定理
をプレ加法圏の対象とする。このとき、以下は同値である。
(1)と
の積
が存在する。
(2)
と
の和
が存在する。
(3) 次の性質を満たす対象と射の組み
が存在する。
証明
(1) ならば (2)
を
と
の積とする。
を次のように定義する。
が和であることを示す。つまり、任意の射の組み
に対して、ただ一つの射
が存在して、
かつ
が成り立つことを示す。
まず、そのような射の存在を示す。射 を
で定義する。このとき、
かつ
が成り立つことを示す。双線型性と
の性質から、
i)
つまり、 である。同様に、
ii)
つまり、 である。
このような射がただ一つしか存在しないことは以下のように示される。
2つの射 が
を満たすとする。
ここで、もし であると仮定する。
すると、射の同一性は簡単に示される。
したがって、 である。
よって、示されるべきは である。これを示すために積の普遍性を使う。
一方で恒等射 は
かつ
が成り立つ。
他方で は
かつ
が成り立つ。
実際、
したがって、積の普遍性より、 が導かれる。
(2) ならば (3)
を
と
の和とする。上の証明と同様に示される。まず、射
と
を
で定義する。
すなわち、
である。
さらに、 かつ
より、和の普遍性から、
が成り立つ。
(3) ならば (1)
次の性質を満たす対象と射の組み が存在すると仮定する。
任意の射の組み に対して、射
を定義する。このとき、
であり、このような射が2つあるとすると、つまり とすると、
である。
したがって、 は
と
の積である。
(了)
次に複積を定義する。
定義 (複積)
プレ加法圏の対象
に対して、次の性質を満たす対象と射の組み
が存在するとき、
を複積(biproduct)という。
上の定理より、複積は積と和の性質を満たす。
と
の複積を
と書く。
以上より加法圏を定義することができる。加法圏はゼロ対象と複積を持つプレ加法圏のことである。
定義 (加法圏)
プレ加法圏が加法圏であるとは、次の2つの条件を満たすものである。
(1)はゼロ対象
をもつ。すなわち、任意の対象
の対して、ただ一つの射
が存在する。
(2) 任意の対象
に対して、
と
の複積
が存在する。すなわち、次の性質を満たす対象と射の組み
が存在する。
次に加法圏における射の行列表示を定義しよう。
加法圏の射の行列表示
加法圏の射
を考える。
このとき射 は次の2通りの構成方法がある。
(1)
複積の性質(積の性質)より、射
がただ一つ存在する。
これらは
を満たす。
したがって、射 がただ存在して、
かつ
が成り立つ。
(2)
複積の性質(和の性質)より、射
がただ一つ存在する。
これらは
を満たす。
したがって、射 がただ存在して、
かつ
が成り立つ。
ここで、それらが一致することを示す。すなわち、 を示す。
これを示すためには、射の普遍性より射 が
かつ
を満たすことを示せばよい。
複積の性質より、 であるから、
である。
が
と一致することを示すためには、和の普遍性より、
かつ
が成り立つことを示せばよい。
実際、
である。同様に、
が示される。
よって、 である。
同様に、
である。
したがって、 である。
以上より、射 を
と
行列で表す。一般の
行列も可能である。
次節では、この行列表示が行列の掛け算と同じように計算できることを示す。
射の行列表示の掛け算
ようやく本題に行こう。加法圏において射の行列表示は、線形代数の行列と同様に、射の足し算と掛け算を定義することができる。
線形代数における行列を復習してみよう。簡単のため 行列のみを考えよう。
行列 に対して、和と積はそれぞれ
と定義される(計算される)。このような計算が射の行列表示において同様に成り立つことを示そう。
射の行列の和
まず、射の和(足し算)を定義する。簡単のため、射
に対して、射
を考えよう。
このとき、
であることを示す。
射の唯一性より、
を示せばよい。
よって、 である。
これは一般の場合も成り立つ。
射の行列の積
最後に射の行列の積を示してこの記事を終えよう。簡単のために、 の射の行列のみを示そう。
射
に対して、射
を考えよう。
このとき、 であることを示そう。
これを示すために、複積の普遍性を利用する。射
を定義する。複積(積)の定義より、ただ一つの射 が存在して、
かつ
が成り立つ。
一方で の定義より、
かつ
が成り立つ。
したがって、 を示すため、我々は
かつ
を示せばよい。
ここでは、 を示す。
は同様に示されるので省略する。読者は試されたし。
の定義より、
(
)であり、
である。さらに複積の定義より、
かつ
であり、
かつ
である。
したがって、
したがって、 を示せばよい。
これを示すためには、複積(和)の普遍性より、
かつ
を示せばよい。
ここで、複積の定義より かつ
および
かつ
である。
したがって、
となり、求めたいものが得られた。
となる。
以上より、 である。同様に、
であることが示される。
よって、 である。これは射の行列が通常の行列と同じように計算できることが示された。
さて、射の行列が通常の行列と同じ積の計算ができることを示すための論理展開をまとめて終えよう。
(1)
を示す。
(2)
かつ
を示す。
(3)
かつ
を示す。
(4)
かつ
と
かつ
を示す。
おわりに
射の唯一性を用いて、射の同等性を示した。おそらくLawvereの本とはだいぶ異なると思うが、実質的には同じだと思う。少しでも参考になってくれれば望外の喜びである。
僕から以上
*1:もう一つ大事なcanonical isomorphismについては省略する。どこかの記事で書いた気がする。
*2:以下の文章は愚痴。
英語で書けば、"there exists a unique map such that
and
"である。such that をうまく日本語に訳せない。「
かつ
を満たす写像
がただ一つ存在する」と書いたら、いきなり訳のわからない(存在不明な)写像
が登場する。「これなんだ?」と思ってから後からこの得体の知れないものが「
」であることがわかる。それから再び全文を読んで理解しなければならない。日本語で書くとかなり分かりづらい文章になってしまう。それに比べて英語などの方ではいきなり写像
の存在性が明白に分かり、それが以下の性質
and
を満たすことがわかる。こちらのほうが断然シンプルでありわかりやすい。
日本語でこのような "such that"の文章を「〇〇のような」ではなく、別の表現で書こうとすると、不自然な日本語になってしまう。「ある写像
がただ一つ存在して、それは
かつ
が成り立つ」と言った文章である。
要は、日本語で数学を勉強するのはあまり適していないと思うし、もし数学がわからなかったら、それは単に書かれている日本語が分かりづらいということもあり得るから、英語などの他の言語ができるなら、一度その言語で数学を学んでみたら数学がわかるようになるかも知れない。実際、どこかの本に書かれていたが、政治家の与謝野馨は中学時代に父親の都合でエジプトに行き、それまでは数学はわからなかったけれども英語で再び数学を学んだら理解できるようになったと言っていた。
*3:体がわからなければ、代わりに実数か複素数のベクトル空間を考えてもよい。
*4:本当はもう少し議論しなければならないところがあるが省略。
*5:似たような言葉に直和(direct sum)というのがあるが、複積と直和の違いはイマイチよくわからない。
*6:のちに定義するように加法圏はゼロ対象の存在を仮定している。
*7:ここで、次のような疑問が生じるかもしれない。プレ加法圏ならばゼロ対象が存在するのではないかと。そのゼロ対象はアーベル群の単位元 であると。ところが、プレ加法圏ではゼロ対象の存在は終対象(始対象)の存在と同値である(少し証明が必要であるが省略)。したがって、終対象(始対象)が存在しないプレ加法圏の例を見つければ、それがその疑問に対する解答(反例)となる。