疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

数学・論理学・哲学・語学のことを書きたいと思います。どんなことでも何かコメントいただけるとうれしいです。特に、勉学のことで間違いなどあったらご指摘いただけると幸いです。 よろしくお願いします。くりぃむのラジオを聴くこととパワポケ2が人生の唯一の楽しみです。

読書感想#2: 齋藤孝著『数学力は国語力』『地アタマを鍛える知的勉強法』 No.2

齋藤孝の著書の書評。

今回は『地アタマを鍛える知的勉強法』です。引用ページはiBook電子書籍であるのでご了承ください。まぁ、アイディア集としては参考になる方もいるかもしれませんね。

前回の記事はこちら

 

 本書の感想

実は齋藤は勉強とりわけ受験勉強が嫌いであった。受験シーズンが来るたびに鬱になっていたそうだ(pp.5-6)。だが、ある日勉強の楽しさを知って、それ以降勉強するようになったという。勉強法を工夫することが楽しいと気づいたという。

逃げ場のなさそうな状況で活路を見出したのは、勉強法を自分で工夫することだった。強化の内容は関係ない。やり方を工夫することが楽しくなった。新しい練習メニューを考えて試してみるコーチになった気分で、自分で自分の勉強コーチになってみた。
     すると急に視界が開け、身が軽くなった気がした。「そうか、やらなきゃいけないことが決められていたとしても、やり方は自由に考えていいんだ!」とわかると、解放された。今までしばられていた手足が急に自在に動かせるようになった感覚だった。

p.6(はじめに)

 

齋藤は「勉強とは何か?」と問い、次のように答えている。

勉強とは何か?
この問いに対する答はさまざまありますが、私の一つの答は、こうです。
勉強とは、「生きる力」を身につける最強のスキルである。

p.196(おわりにpp.196-199より)

 

それでは齋藤が考える「知的」とは何か? それは、「野生的(野性的)」ということだ。身体的とも言える。

この本では、「知的」勉強法を具体的に紹介するが、基本にあるのは、野生の動物が森で生き抜く時に発揮している身体性と感覚だ。状況を察知し、自分の弱点を意識し、全身のセンサーを働かせながらしなやかに動く彼らの動きは、私には知的に見える。

p.7 

 

野生動物のように、ムリなく、ムダなく、ムラなく、しなやかに対応する、これが私の目ざす「知的でタフな地アタマ」ということだ。

p.9

 

動物のように、負けないようにその場その場で最善の判断をしていく。このあり方は、まさに本書で勉強の目的とした「本当の頭のよさ」です。

p.198

 

勝負の世界の野生の感覚と勉強で鍛えられる身心の構えは、一見反対のようだが、一致する。これが本書の目ざす「生きる力」のスキルです。

p.198

 

本書には、「知的」になるための様々な勉強法のアイディアが書かれている。読者はその中から気になった勉強法を実践してみればいいかもしれない。

 

批判

齋藤はこのように言う。

いくつになっても、自分の足りなさを自覚して、他人の声に耳を傾けられる柔軟な心を持つ。そもそも学ぶ姿勢が、人の話を聞くということですから、それによって足りないことを自覚できるのです。もし考えが否定されることがあっても、それは新しい発見ができたという喜びになると思います。

p.194(終章 直感力で本質をわしづかみpp.181-189より)

それでは、齋藤の考えを検討してみよう。する価値もないけれども....。

 

Question: 齋藤は勉強が嫌いだった。なら、なぜわざわざ勉強をやったのか? 受験勉強を諦めるという選択肢もあったはずだが、にも関わらずどうして受験をやめなかったのか? 勉強のゲーム化。評者はそれすらも嫌だった。では、評者のような人はどうすればいいのか? 楽しく勉強を工夫することすらしたくない人にとっては、勉強は諦めざるを得ないものではないか?

 

Question: 地アタマを鍛えるためには(つまり知的になるためには)、わざわざ勉強でなければならないのか? ここの勉強とは論語ニーチェや数学や国語や読書などである。 スポーツや他のものでもいいのではないか? そのへんをはっきりしてほしい。
おそらく齋藤は「別に勉強以外でも構わない」と答えるだろう。なぜなら彼はイチロー羽生善治や麻雀プロの桜井章一など勉強以外の分野を参照しているから。したがって、もしある子供が「自分は勉強ではなくてスポーツでやっていくんだ。だから、勉強なんてやらない」と言ったら、齋藤は反論できないだろう。「スポーツと勉強は同じだよ。だからスポーツもするなら勉強もしなきゃね」と諭すかもしれないが、もし勉強以外のものでも「知的」になることができるならば、必ずしも勉強する必要はないはずである。

 

Question: 齋藤にとって「知的」とは「野性的」である。その意味はその場その場で判断して、その中で最善を尽くすという意味である。だが、齋藤は一方で勉強方法に関して異様なこだわりを持っている。例えば、齋藤が理想とする勉強部屋や椅子は細部にまでこだわりがある。

私が自分でデザインした机は、前面の中央が丸くえぐれていて、体がすっぽりはまるようになっています。そのコンセプトは、ずばり「勉強に集中できる机」です。そのためには、教科書や参考書、お菓子、お水などなど、必要と思われるものを全て机の周りに揃え、そこから出なくていいようにします。もはやそこがコックピットのように、すっぽり自分をはまらせて没頭してください。

pp.169-170(23 コックピットのような机環境をpp.169-170より)

 

イスはまず、長時間座っていられるものに。木やプラスティックだと座面が固いので、クッションのある布張り。ひじ掛けは絶対必要。疲れてくると、上体をぐっと後ろに反らすストレッチが不可欠なので、背もたれが反らないものはダメ。左右にくるくる回るタイプで、腰がすっぽり包まれる感じのもの。それなら、臍下丹田(せいかたんでん)を中心にして、ゆったりとお腹で呼吸できるから---というのが、私の好きなイスの条件です。

p.172

もっともそのような環境であれば最も勉強がスムーズに捗るのだろう。そのような環境であれば、最も良いパフォーマンスを生むのかもしれない。だが、大切なのは環境に左右されずに勉強できることである。そのような細部へのこだわりは時として致命的になる。例えば、環境が変わり以前のこだわりが再現できない机と椅子になってしまい、「いまの勉強環境はダメだから、勉強はできないや」とやめてしまうのである。それはまさに齋藤が言う「知的」ではない。野性的な知性は、その場しのぎでもなんとかしてやるということであるからである。

このように言うのはこの評者自身が同じことを経験したからである。留学した際、勉強に適した環境がなかった。図書館は平日でも午後8時で終わるし、机もでこぼこであった。トイレもそこから遠かった。留学前の学習環境と比べれば、圧倒的にそちらの方が悪かった。だから、私は「よし、この図書館で勉強するのはやめよう」と決めたのだ。同様に、「カフェもダメ」と結論づけた。残るは自宅しかなかったが、「自宅のテーブルはギザギザだし、部屋は暗いし、椅子は硬いし.....。これじゃあ、勉強できないや。日本の方が環境はよかったわ」と言い訳を作り出し、結局まともに勉強しなかったのである。言い訳を作ったからそれはできなかったという建前になるが、実際はしなかったのである。

このような態度は明らかに「知的」ではない。「知的」な態度とは、そのような悪条件の中でも勉強して、最良のパフォーマンスを発揮することであるからである。私は「知的」ではない。だからこそ言えるのが、過度なこだわりは障害になるということである。あるいは、真の「知的」はこだわりを持っているが、別の環境になればそこに適応できるということであるかもしれない。「最高のパフォーマンスのためにたくさんのこだわりやアイディアを実現しなければならない。が、それと同時に、もし環境が揃わなかったら、環境を嘆き、それを言い訳にするのではなくその中で最高のパフォーマンスをしなければならない」と齋藤には指摘して欲しかった。そのような視点がなかった。

 例えば、齋藤考案の「三色ボールペン勉強法」はもちろん三色ボールペンがなければならない。それがあれば、その勉強法はできる。が、もし三色ボールペンがなかったら、「三色ボールペンがないから本読めないや」と考えるのは「知的」ではない。「三色ボールペンがないからそれに代わる方法を考えなくては。三色の代わりに三つの線で区別すればいいのではないか」と考えて、その環境にもめげずに勉強することが真の「知的」であると思う。その辺を指摘して欲しかった。

 

Comment:  齋藤は本書で次の3つを指摘しているように思われる。

(1) 自分にあったやりかたを見つけること。それによって最高のパフォーマンスを発揮することができる。
(2) 完璧な環境ではないが、それに対して文句も言わずにちゃんとやること。私にはできない。小さなことに言い訳を見つけては、サボってしまう。つまり、やらない理由づけを作り出すのは、いとも簡単にできてしまうということである。
(3) たとえ完璧な環境ではなかったとしても、現状を的確に認識して、その中でなんとか良いパフォーマンスを発揮すること。

 

各章のまとめ 

「序章 勉強しているのに、なぜ身につかないのか?」pp.15-32のまとめ

では、その[引用者注: 官僚の]優秀さは何かというと、与えられた情報を整理して再構成できること。つまり、要約力があることです。

p.16(Section 「勉強ができる」から「頭がいい」とは限らないpp.16-18)

Comment: 官僚的優秀さとは要約力である。

 

「ミツバチ勉強法」と「くまのプーさん勉強法」。

p.21(Section: 学べば学ぶほど解放されるpp.18-22)

Comment: ちまちま地道にやる勉強法と楽して一気にやる勉強法がある。そのどちらも否定していない。

 

勉強の出発点において、この覚悟というものが非常に大事です。勉強は覚悟で決まるといってもいい。それは、頭がいい悪いということよりもはるかに大切なことであり、頭脳ではなく、腹の下の臍下丹田(せいかたんでん)で練られた覚悟が、最終的に知性を決定づけるのではないかとさえ思います。

p.25(Section: 覚悟を決める勉強法 pp.22-26)

Question: 勉強するためには覚悟が必要とのことであるが、それは全くその通りである。では、どのようにして覚悟を決めるのか。また、もし覚悟が決まらなかったならばどうすればいいのか? 覚悟が決まらなければ勉強しなくてもいいのか?

 

これを読んでもわかるように、諭吉や塾生たちには、勉強すること、それ自体が楽しかったのです。先のことばかり考えて、目的のために勉強するのは真の勉強ではない、むしろ、目的のない勉強がいいとも述べています。勉強を将来の道具と考え、即効性の高い勉強法を求める現代の人たちと、勉強が生きることであった諭吉たちとは、そもそも学ぶ意味が違っているように思えます。

p.29(Section 基本は「まねる」「盗む」勉強法pp.26-32)

Comment:生きることは学ぶこと。

 

「第一章 大切なことを瞬時につかむ勉強法 pp.33-70」のまとめ

藤原正彦は情緒力が重要だと言っている(権威による根拠づけ)p.37。だから、情緒力は大事だと齋藤は主張する。

 

論理力よりも情緒力が大事というのは、論理力を使って何をするのか、そこの判断を間違うと、全てムダになるからです。私もまったく同意見です。情緒という感情をもとに価値判断を行うと聞けば、冷静さに欠けるように思えますが、その感情があってこそ、その後の学ぶためのエネルギーが湧き起こるのです。

p.38(Section 「知・情・意・体」を整える勉強法pp.37-41)

Comment and Question: 勉強前の覚悟のことと同じかな。

 

私は本を読む時に、必ず筆者の論理の裏にある「好き嫌い」の感情を読み取るようにしています。感情による価値判断があって初めて論理が作られると思うからです。

p.38

Question: 齋藤の感情は何かな.....「本を読む俺、カッコいい、好き。読まない連中、嫌い。」かな。

 

体が知性の大きな基礎になっているという考えのもとに、体を使った勉強法を行うことで、意識の深いところに知識がしっかり刻み込まれるという効果も大きかった。漢文学習などで行われる素読は、まさにその典型です。

p.41

Question: 体を使った勉強法を目指すならば、机に座って勉強している今の教育は間違えではないのか?(cf. p.189)。次の文章も参照。

軽くジャンプして体をほぐしたり、四股の形でイチローがよくやるように肩入れをする運動も、1日に何回かやります。全身がほぐれると同時に、下っ腹が充実する。この「上虚下実(じょうきょかじつ)」が自然体の感覚です。
     こんなふうに、一種のスポーツ的でもあり、瞑想的ともいえるやり方を勉強法に生かしてきたわけですが、このことによって確信できたのが、やはり本質をつかまえるのに身体技法が非常に有効だということです。少なくとも、私はこれをやることで、ちまちました枠を超え、大事なところをつかみとることができやすくなりました。つまり、直感力が働きやすい心の状態を、呼吸法でワザ化できるようになったのです。

p.189

 

積極的に勉強しなければ真の知的とは言えないということだそうだ。

本来、問題意識を持つから学ぶ対象を選ぶものですが、学校の生徒たちの多くには、教えられる側という受動的な考えが染み込んでおり、積極的に問題を見つけようとはしません。しかし、問題を自らつかみ、答えを得るために学び、的確に判断して現実を動かしていくことが、本当の頭のよさであるはず。冷静に物事を分析し、把握し、現実的に一歩、人生を先に進めるのは、自分自身でしかありません。

p.42(Section 問題意識のない「学び」はやめるpp.41-42より)

Question: ということは、もし問題が見つからなかったら、別に勉強しなくてもいいということか? これは先ほどの覚悟のところとも整合性がある。

 

社会に通用する人の特徴のひとつは、方法的な意識を常に持っていることです。方法的意識を簡単に言うならば、「もっと他のやり方ないの?」と考えることです。
     例えば、計算の大変な数学の問題を出された時、いちいち計算するのが面倒だから、他に簡単でいいやり方はないかと探します。

p.43(Section 「方法的意識の常備」勉強法pp.42-44より)

Comment: 数学の例で示している。数学以外では「覚えろ」というのが基本だからね。例の選択が恣意的だよね。「なぜ」とか「どうして」なんて他の教科では質問しづらいと思う。英語とは国語とか歴史とか。一方で、盗めと言っているし、他方で、自分で見つけろと言ってるし、大変ですね。

p.46には国語の例もある(Section 迷子にならないための「無知の知ノート」pp.45-47)。

 

ゲーテの言葉を用いて自身の主張を根拠づける(p.48; Section 「型」から入る勉強法pp.47-49より)。

 

効果を出すには、はじめに本質をつかみ、勉強する筋道をデザインする必要があります。そのための具体的かつ有効な方法論として、第二章の「目次勉強法」をお薦めします。

p.53(Section いきなり本質をつかむ勉強法pp.50-53より)

Question: どうやって本質をつかむのか? 目次勉強法が参照になるとのことだが.......。

 

こうしたリーダー的な頭の使い方を、普段の勉強法に取り入れるとどうなるか。勉強する時、まずリーダーになったつもりになります。リーダーならどう発想するか、どうエネルギッシュに動くかを考えながら、日々の勉強に生かしてください。

p.56(Section リーダー的な頭を目ざす勉強法pp.54-56より)

Question: どうやって? 何か例はあるの? そんなものはない。

 

理解力は知的な勉強法で培われます。

p.57(Section 勉強すると、人にやさしくなれるpp.56-58より)

Question: どうやって培われるのか? その具体例はない。特に受験勉強においてはない。あとに、それっぽい例がある。それは「自問自答勉強法」とあるが、それは受験勉強には使えない。もっと一般的な例しかない。

 

勉強の世界でも、リスクを背負った野生の感覚を持つ人が、最後には伸びていきます。
     もう後がない、失敗はできないというリスク感覚は、人間の自由と責任を謳う実存主義的ですが、参考書ひとつ選ぶにも、その感覚があるとないでは大きな差が生じるように思います。その一冊に自分の未来を賭けるのだ、というぐらいの気概がほしい。

p.60(Section 判断力を鍛える勉強法pp.58-60より)

Question: じゃあ、もう失敗はできないと追い込むために、あえて浪人になった方がいいということ? もちろん、そんなわけないだろ。浪人生に対してそうアドバイスする程度のことに過ぎない。

 

あたかも野獣のように、問題につかみかかっていなくてはいけないのに、確実性を優先すると、逆に頭が固まるのです。

p.61(Section 頭を野獣化するpp.60-62より)

Question: どうして? その理由は不明。例として浅田真央を出しているが、根拠不十分。

 

ですから、アイディアを生み出さない勉強法、すなわち勉強のための勉強法しかしていない人は、今日から攻めの勉強法にスイッチすべきです。自ら未来図を描き、貪欲に向き合ってください。

pp.63-64(Section 勉強のための勉強をやめるpp.62-64より)

Comment: 勉強のための勉強をするな、だそうです。

 

さらに、古典を引用すると、教養があると思われる利点もありますから、ここはひとつでもものにしておきたい。外国人に『源氏物語』を聞かれて、ちょっと語れる、能について少し説明できる、芭蕉の俳句を英語で言えるとなれば、それだけで知的な印象を持たれると思います。

pp.64-65(Section 古典は応用できる共通言語pp.64-65より)

Question:
(1) 単なるこいつの感想に過ぎない(〜と思います)。


(2) 他人に「教養のある人と思われる」ことがそんなに重要なのか? そもそも教養あることがそんなに重要なのですか?  齋藤は「教養主義者」だから仕方がないか(『古典力』の冒頭では「ウェーバーベルーフも知らない連中は人間じゃねぇ」のようなことを言っているし、齋藤の本を読めばその化けの皮がわかる)。


(3) 教養ある人に思われることが重要であるとして、仮に古典の引用によって教養のある人と思われたいがために、古典を勉強しようとしよう。だが、なぜわざわざ古典の原典を読まなければならないのか? わざわざ古典の原典を読む必要があるのか? 解説書で十分でないのか?

 

これは、勉強に通じる方法であり、問題を解く時にもオプションを柔軟に考え出したいものです。ひとつのやり方しか知らないと、それが通用しない時に、そこで潰れてしまいます。常に、多様な角度から選択肢を導き出す力を鍛えておかなくてはいけません。

p.67(Section 交渉力を生かす勉強法pp.65-68より)

Comment: 数学の別解の例と内容が似ている。

 

知的好奇心を持って勉強していけば、それが受験勉強だろうが何だろうが、本当は楽しいものです。

p.69(Section 学びの基本は知的好奇心pp.68-70より)

Question: どのようにして知的好奇心を生むのか? アリストテレスの『形而上学』冒頭の「人間は生まれながらにして知識欲を持っている」という言葉でもって根拠づけるか(笑)??

また、もし別のものに好奇心があるならば別に勉強する必要などないのではないのか?

 

しかし、実際は、そのシステムから飛び出すぐらいのエネルギーを持ち、本を豊富に読んできた人のほうが、その後に伸びていくものです。勉強の根っこに、知的好奇心があるかないか、その差は後の人生に必ず大きな影響を与えるはずです。

pp.69-70

Question: 根拠は?

 

第二章 地アタマを鍛え身体に染み込む勉強法pp.71-137

先人たちの知的な頭を移すということは、単に、その対象について説明できるようになるだけでは不十分です。「語れる」以上に、「実践できる」ところまで行き着いて、初めて本当に知的な領域に入れるのだと思います。

p.79(Section 知的な頭を移す勉強法③--二週間ナリキリ漬けpp.79-81より)

Comment: 真の勉強とは。

(1) 知る・読む(インプット)

(2) 語る・書く(アウトプット)

(3) 実践する

 


私の知人のフッサール研究者の話pp.79-80

 

二週間勉強すればいいという主張の根拠は筆者の経験。

この二週間という単位は、経験上、勉強に適した長さだと思います。

p.81

 

筆者にとっての大物はメルロ=ポンティpp.82-83(Section 大物一点豪華主義勉強法pp.81-83より)。

 

私は、中学生の頃から友人と二人で対話しながら勉強してきました。すると、話をすることによって記憶に残りやすいことがわかりました。勉強の内容が発展していったり、あるいは見る角度が多様になったりという効果があるからだと思います。その相手が自分より優秀だと、対話によって、頭のよい働きが乗り移ってきます。「頭を移せ!」というのが私の勉強法の基本ですから、これはどんどんやったほうがいい。

pp.90-91(Section 対話勉強法①--問いを立てて記憶に残すpp.88-91より)

Comment: お前の経験だけをもとに一般化するなwwwwww

 

自分が出題者になった視点で問題を作ってみるとその分野について理解が深まると齋藤は主張する。

経験上、自分が出題者になる勉強法を行なうと、理解が急速に進みます。

p.98(Section 「出題者は私」勉強法pp.97-99より)

Comment: お前の経験上のことしか根拠になっていない。

 

数学のチャート式をやれば数学が、英語をやれば英語ができるようになる。そうではなくて、チャート式のような参考書を自分で作ると、チャート作りそのものがうまくなる。それが、知的な勉強法ということです。
将来において数学を使うことがあまりなかったとしても、ここでチャート作りを勉強法としてマスターしておけば、これは一生使えます。

p.107(Section 「文章の図化」勉強法② pp.104-107より)

Comment: 勉強の内容は忘れても勉強の仕方つまり勉強方法は変わらない。それが身につく。ちなみに、齋藤は図解シリーズを否定的に捉えている。それは自分で図解を作っていないから(p.104)。

 

実は、その人が同じミスをするのは、その人固有のミスの回路ができてしまっていることが多いからです。

pp.112-113(Section 「仮説→実験→修正」回路勉強法pp.111-115より)

Question: それはどのように説明されているか。つまりその理由は何か? レコードも同じ。(この文章の後にレコードの例が出てくる。レコードの針が同じ溝にはまって毎回あるフレーズを繰り返すのと似ているとのことであるp.113)。


Section 野生の勉強法pp.115-120
著者のテニスの経験談p.116
南方熊楠(みなかたくまぐす)pp.117-120
Section 三ヶ月分を三日で実行pp.120-122


Section 「概念身につけ」勉強法pp.124-127
フロイトpp.124-125, バタイユp.126, フーコーpp.126-127

Section 「体験・出合い」勉強法pp.130-135
ダーウィンpp.131-133, 小松茂美(こまつしげみ)pp.134-135

様々な有名人の名前を出して議論している。学者ばかりの特殊なサンプルを用いて自身の主張を根拠づけている。

 

第三章 人格を磨く勉強法pp.138-158


Section 孔子は「学び」を人格形成の中心と位置づけたpp.141-143
齋藤は孔子の権威を持ってきて自身の主張を述べる。pp.141-155


Section 「学び」を楽しむ勉強法pp.143-145
p.144:「私自身の経験」

 

もし、こんなことを繰り返して、小さな利益ばかり目標にしていると、孔子の言うとおり、大きな事は成せないのだと強く感じます。

p.145

 

「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」。これは、自分の知っていることと知らないことの境界線をはっきり示せて初めて、それを知っていると言えるという意味です。
     例えば、物理学を学ぶ時、最初はわからなかったけれども、だんだん問題が解けるようになると、全部わかった気になってしまいます。しかし、孔子によれば、それは「知っている」ということにはなりません。
     なぜかというと、その分野で最先端の研究をしているような、本当に理解できている人間は、現在自分たちはどこまでわかっていて、どこから先がわかっていないかを認識しています。そうでなければ研究はできません。ですから、わかっていることとわかっていないことの境界線をいつも確かめながら進むことが大切なのです。

p.148(Section 境界線勉強法pp.147-149より)

Question: これはどういう意味なのか? (1) 自分が知っていることと知らないことを知っている、のか(2) 自分たち(人類)が最先端のことを知っていることと現在では知らないことの区別がはっきりしているのか。
前者ならば普通であるが、後者ならば研究者以外は誰一人「知らない」ということになる。ほとんどの人は何も「知らない」ということになる。

おそらく文脈から前者からだと思う。

 

Section 「虚心坦懐」勉強法pp.151-153
セザンヌpp.152-153


Section チェンジ勉強法pp.153-155

孔子も言っているように、勉強を通じてこそ人格が練磨されるのです。

p.154

 

勉強を通じて切磋琢磨することが人生において重要なのは、何も成績を上げるためだけではなく、もがいてもまれる中で「心の免疫力」がつき、タフになっていくからです。そうすると、少々嫌なことを言われても平気でいられるし、誰かに否定されても乗り越えていけます。

p.156(Section 論語に学ぶ「独立勉強法」pp.155-157より)

Question and Comment: はぁ???? ご冗談を??? 根拠は? まさか論語????
 

第四章 実力がワンランクアップするヒント集pp.159-180

本章は、アイディアが番号づけて羅列されている。まぁ、根拠はほとんどない。気になったアイディアを試してみては?

人間の脳は、揺り戻す時に理解度が深まるので、....

p.162

Question: 根拠は何?

 

深く考えずにできる作業が多いほど、意識を自動化して自分を慣らすことができます。

p.166

Question: 根拠は? 経験談?


30 適度な緊張を生む「場所」(p.173)

大学以降現在まで、勉強の場として、私

が最も利用してきたのは喫茶店です。.......

朝のスターバックスなどは、会社勤めの方や学生などが、時間を惜しんで勉強する姿が多く見られ、生活の中に勉強があることを感じさせてくれます。p.173


 32 音読こそ英語「荒ワザ」勉強法(p.174)
Comment and Question: 英語や古典は音読をしたほうがいいと主張する齋藤。音読を朝のスターバックスでできるのかい?


33 ワントラック・リピート音楽の効果(pp.174-175)

勉強する時に音楽をかける効用は、気持ちを整えることかもしれません。私が実験したところ、ラップは耳障りで勉強には向かないようです。一番適していたのは、やはりクラシック音楽で、モーツァルト、ビバルディが没頭しやすいと思います。

p.175

Question: その実験は一般的なものなのか? それとも齋藤個人が行なった特殊な実験なのか?


35 人に教えまくれ(p.176)

情けは人のためならず...といいますが、勉強も同じです。人に教えているうちに自分ができるようになるもので、巡り巡ってくるのです。

p.176

Question: 根拠は? まさかことわざ???


36 頭のいいノートのとり方(pp.176-177)

ノートをとる作業は、メモや板書を引き写す作業とはまるで違い、先生が語ったことを、構造化することです。これができるようになると、頭が整理された状態で、人の話を聞くことができます。やり方としては、先生の話をひたすら書いて、家でまとめ直すのがいいと思います。

p.176

Question: では、レコーダーを使って授業を録音することに賛成か? または授業を動画に撮ることに賛成か? おそらく、頑迷固陋な齋藤だから反対だろう。理由は、「自分で聞いて先生の話を書くことが大切なんだ」的な、精神論かな。


42 小論文勉強法②--領域横断力で差がつくpp.179-180

オリジナリティとは、この世で初めて自分が思いつくことではありません。問題を横断的に見る視野の広さもオリジナリティです。最近は、インターネットから情報を引き出して書く学生が多いのですが、皆と同じことを書いてもしようがない。ネットでキーワードを打ち込んでも、絶対に出てこないような「横断的なつながり」を自分で見つけるべきです。

pp.179-180

Question: どうやって? 言うのは簡単。
 

 

終章 直感力で本質をわしづかみpp.181-189

Section 知的な人は直感的であるpp.182-189

羽生善治を例にして齋藤は主張する(p.182)。

いきなりその問題の本質に入り込むことができると思います。

p.187

 

Section 知的な人は自由であるpp.189-191
孔子の例(p.190)


Section 知的な人は勇気があるpp.191-192


Section 知的な人は柔軟であるpp.192-195

私は長年、音読を勉強法に取り入れてきましたが、この野性的な知性は、音読と深いつながりを持っています。音読という行為をひと言で表せば、文章を作った人の魂を憑依させることに他なりません。文章を筆写することもそうですが、音読することで、つまり身体を使って、おおもとの魂に迫れるわけです。

p.192

 

例   司馬遷史記』、吉田松陰留魂録』(pp.192-193)

 

音読は一見、初歩的なようですが、私にとっては、その思想家や作家を自分の中に棲まわせるという意味で、最も効率的で知的な勉強法です。

p.193

齋藤は音読が重要だと思っている。根拠は特にない。

 

 

おわりに

最後に齋藤孝の本全般に言えることだが、彼の主張はアイディアとしてみるならば有益かもしれない、が、その主張の正しさについて言えば、ほとんど根拠がない。その根拠は自身の経験か権威しかない。話半分で読めばいい代物である。

 

  

僕から以上