再び更新するかもしれない。そのときはいま思っていることを相変わらず、変なことであるが、書く。
だが、今は疲れているし、外にいて、手がかじかんでいて集中できない。
だからとりあえず書く。
くだらないネタは少なくとも2つ思いついた。それを今日と明日書く。
次のような思考実験を想定してみよう。
AさんとBさんが数学の問題を解いている。例えば、次のような問題が与えられている。
式 を の形に変形して、グラフを書け。
AさんもBさんも共に「を移項すると、となりはとなる...」と移項の意味をちゃんと理解しているように思われる。 つまり、両者ともに問題を理解して答えを導くことができるのである。
ところが、ここで先生などが「移項って何ですか? どうして左辺にあるを右辺に移項するとになるのですか?」とつっこんでみる。すると、Aさんは「なぜなら式の両辺にをたせばいいからです。同様に式に対して両辺にを掛ければ、求めたい式が得られるからです。」と答えるが、対して、Bさんはその質問に対して「いやぁ、その、を移項すれば、になるから....」と答えになっていない答えを言ったとする。
つまり、Aさんは移項の意味をちゃんと理解しているが、Bさんは移項の意味を理解せず、ただなんとなく機械的に行なっていたに過ぎなかったということである*1。
このような状況を仮定したとき、当然ながら教育者としては「Aさんは移項をちゃんと理解しているが、Bさんは理解していない。Bさんのようなただ式変形が意味もわからずできることはよくないことだ。」と考えるだろう。私もそう思う。
ちゃんと理解した上で、計算を機械的に行うのならばそれはそれでよい。だが、意味もわからずただ闇雲に計算をすることはたとえ答えが正しくともよくないことだと思う。.....一応そう思うのだが、数学ができない人の立場になると、とりあえずテストの点が取れればいいから「移項するときプラスのときはマイナスにしてその逆も言えて、掛け算のときは割り算にすればいい」と暗記して、問題練習して解けるようになれば、それはそれでいいのかもしれない。....認めないが。
しばしば「数学は暗記教科である」と言われるが、この前そのような数学の内容を暗記させる教育について議論をしていた。私は微積の内容ならば多少の暗記はいいけれども、何でもかんでもは良くないという立場である。慣れて結果的に式を覚えてしまったならばそれでいいけれども、はじめから式を覚えることには反対の立場である。式の理由(証明)を理解すれば、たとえ式を忘れたとしても自ら式を導くことができるから、このような方法の方が思考の節約になるから、というのがその理由であった。
私のような考えは数学科などに行く人つまり数学の専門家にとっては常識的であるのだが、一般にも受け入れられるかといえば、そうとは限らない。上の思考実験のように「ちゃんと計算ができればその意味や理由がわからなくてもそれでいいじゃないか」という意見もありえる。重要で難しい問題である。
僕から以上
*1:仮にBさんが「逆演算だからで...」と答えたならば、「それじゃあ、どうしてプラス(和)に対しての逆演算がマイナス(差)であるのですか? プラスの逆演算が掛ける(積)であっても割り算(商)であってもいいじゃないですか? 」と聞き返せば良い。