疑念は探究の動機であり、探究の唯一の目的は信念の確定である。

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数学とは何か。それは線形の科学である。しかし...

数学とは何か。H. Weylは「数学とは無限の科学である」と言った*1

これまでそれを自分なりに考えていた。ある時「数学は線形の科学である」と悟った。それは線形代数を勉強していたときだったと思う。

 

「数学とは線形の科学である」という信念を一つの哲学までに昇華させるためには、多大なる研究と考察を要する。それは一生かかる研究であろう。

 

まず、線形(linear)についての歴史を調べる。たしか意外にも線形代数(linear algebra)という学問ができたのは比較的最近のことである。20世紀である。ベクトル空間の公理や線形写像などのもろもろの概念も比較的最近のことである。アファイン空間の最初の定義はWeylの『空間・時間・物質』からだった気がする。記憶違いでなければ。そのことは知っているが、詳しいことは知らない。だから、まずその歴史を知ることである。

 

次に数学全体において線形性の理念がどこでどのように広がっているのか知らなければならない、つまり、数学がどのようなものなのか知らなければならない。私が知っていることは線形代数微分のことや非線形微分方程式の定常解近傍における線形化ぐらいしかない。あとは多様体で使われていることと圏論から見た線形代数ぐらいか。

 

最後に、最も難しいのはそれらの線形についての知識をまとめて「哲学」として練り上げることである。結局それは「数学とは何か」を考えることなのだけれども。「なぜ、数学ではかくも線形性が溢れているのか?」「なぜ、数学では非線形を扱うことが極めて難しいのか?」「線形性とは何か?」等々の疑問を解決することである。

 

数学とは線形の科学である-----それは間違いないのだが、その答えだけでは不十分である。その答えは数学の豊穣な世界を表現しきれていない。それは微分で言えば一階の微分つまり速度や接線しか考えていないことである。多様体であれば接空間しか考えていないことである。それらももちろん重要なのだけれども、二階の微分つまり加速度こそが真に数学を豊かにするのである。多様体で言えば共変微分である。ほとんどの物理学では少なくとも二階微分が必要となる。例えば、常微分方程式であるならNewtonの運動方程式であるし、偏微分方程式であるなら波動方程式や熱伝導方程式やLaplace方程式などもすべて二階の偏微分からなる。一階の微分だけでは決して届くことのできない彼岸の世界なのである。同様に多様体の真の世界は接続や共変微分からなのである。さらに、二階の微分は認識論的にも決定的に重要である。それがBochonerの指摘であった。数学を特徴づけている「抽象からの抽象」の一例であったからである。

 

それではこの二階の微分を線形性の理念とどう折り合いをつけるのか? 一つは二次形式の理論である。結局、二次形式も線形代数であるからである。ただ、二次形式も特殊な場合である。どこまで、二階の微分を捉えることができるのか、研究課題である。

 

数学研究はこれからである。

 

僕から以上

*1:『数学と自然科学の哲学』より。正確にはSie ist die Wissenschaft vom Unendlich. ここで、Sie は前のMathematikに相当する。